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なぜ、現象をありのままに捉えることが難しいのか?

前回の記事では、改善とイノベーションの範囲を設定するときに、留意するべき点として、イノベーション(大きな変化)よりも、改善(小さな変化)に偏る傾向があることに留意する必要があるということをお伝えしました。
今回の記事では、改善・イノベーションの2つ目のプロセスである「メタ意識の活用と現象の観察」についてお話ししたいと思います。
ありのままに捉えることの難しさ
②メタ意識の活用と現象の観察
直感したありたい姿に対する現実を
メタ意識/身体意識で複眼的に、ありのままに捉える
一つ目のプロセスにおいては、どの範囲において改善・イノベーションをするかについて意図的に選択しました。その選択した範囲における「現実」をありのままに捉えるというのが、二つ目のプロセスになります。
現実をありのままに捉えると聞くと、とても簡単なことにように思われるかもしれませんが、実はとても難しいことなのです。
こちらをご覧ください。これは何でしょう?
はい、りんごですね。
いま、みなさんが「これはリンゴである」と認知したプロセスを詳細にみてみましょう。
「これはりんごである」と認知するまでには、「赤い光とそうではない部分」という感覚を得て、「赤い部分は円くて、上の方に凹みがある」という知覚をした上で、これまで私たちが見たことがある「りんご」というものに当てはまるというようなプロセスを経ています。
もう一度、同じ写真を見ていただきたいと思います。今度は、「これはりんごである」という判断をなるべく留保して、赤い部分の赤さや、上の方の凹みや、そこから上部に伸びているものを「知覚」するようにしてみてください。
いかがでしょう?赤い部分にも明るいところや暗いところがあったり、黄色の斑点を感じたり、表面のつるつるな感じを見つけたりすることで、先ほどより、この写真のありのままを受け取ることができたのではないでしょうか。
見えているようでも、実は見えていないことがある
ここまで、ありのままに捉えることの難しさについてお話しましたが、認知することの限界について、他の観点からも見ていきたいと思います。
みなさんにやってみて頂きたいことがあります。下図において、左目を閉じて、右目で左側の●を見ながら、目との距離を変えてみてください。少し大きな画面で表示をした上で、その画面と目との距離を近づけたり、遠ざけたりするのがポイントです。
右側の★が消える瞬間がありませんか?
こちらも試してみてください。
いかがでしょうか?右側の★が消える瞬間はありましたか?
そして「消える」ときには、背景の色(緑色)で補完されていることに気づかれたのではないでしょうか?
これは、盲点と呼ばれていて、この部分に集まった光は信号として脳に届かないために起こる暗点なのですが、見えていない部分は、その周囲の情報をもとに脳の働きによって補完されます。
これは、目の構造からくる生理的な暗点についての話ですが、目の構造からくる話だけではなく、「見ているつもりでも、見えていないことがあった」ということはみなさんも経験されたことがあるのではないでしょうか?
群盲象を評す
群盲象を評す(撫でる)という言葉をご存知でしょうか。私はこの言葉を、以前コーチングを受けていた時に、コーチの方から教えてもらいました。
群盲象を評すというのは、目が不自由な人が象に触りながら、足を触っている人は「ゴツゴツしている」と表現したり、牙をさわっている人は「カチンカチンに硬い」と表現したり、背中を触っている人は「大きく広がっている」と表現したりしている状況のことを表すインド発祥の寓話です。
一人ひとりが表現していることは、異なっているけれども、それぞれ正しいことを言っている。実はある一つのことの多様な側面を表現している状態であるということです。
私は、コーチに教えてもらって以来、この言葉を常に意識しながら、物事を見るようにしています。
「自分に見えている世界は、何か大きなものや大きな動きの一部に過ぎないとしたら、他にはどのような側面があるのだろうか?」
「他の人からみると、これはどのように見えるのだろうか?」
このような問いを持ちながら、物事を見るようにしています。特に、自分自身が直接関わっているような問題について観察するときには、自分にとって都合のいい側面のみを抽出しようとするバイアスが働きますので、この問いが自分にとって特に大切になります。
自分の認知の限界に自覚的になる
ここまで、現象をありのままに観察することの難しさ、自分の認知の限界についてのお話しをしました。
改善やイノベーションの場面において、現実を観察することはとても大切なことであることは言うまでもありませんが、その時に観察する自分の認知の限界に自覚的になりながら、観察をすることが必要となります。
自分の認知の限界に自覚的になると、常に次のような問いを持ちながら、現象を観察するようになることでしょう。
・「目の前の事象をありのままに見ることができているだろうか?」
・「過去の類似経験を元に、安易な判断をしてはいないだろうか?」
・「他の人には、この事象はどのように見えているだろうか?」
・「今見えていることは、関連する事象の全てを表しているだろうか?」
一方で、このような問いをもつことが簡単ではない理由もあります。
それは、ある領域に熟達すればするほど、他の人よりも直感的に多くのことを見通せるようになるからです。みなさんも自分の仕事の内容については、他の人よりもはるかに多くのことを知っており、直感的に判断できることが多いと感じるのではないでしょうか。
この「わかっている感覚」が、上記のような問いを持ち続けることを妨げることがあります。熟達することによって、見通せるようになることはとてもいいことです。一方で、それが「自分はわかっている」と言う具合に、自分の認知の限界について無自覚になってしまうと、現実を直視できないリスクが高まります。
熟達することによって、見通せることがを増やしながらも、一方で、自分の認知の限界についても自覚的になっているという両立の状態を目指すのが良いのではないかと思います。
今回の記事では、現象をありのままに観察することの難しさ、自分の認知の限界についてのお話しをしました。次回の記事では、どのようにすれば、そのような難しさや限界があるとしても、ありのままを観察することに近づけるのだろうかということを考えたいと思います。
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