COLUMN コラム

ヴィジョン構想のはじめの一歩は何か?(ヴィジョン構想のプロセス①)

落合文四郎
Alue co.jp CEO
2021.08.26

前回の記事では、世の中の流れをどのように捉えるかというテーマで、VUCA時代において現象面での予測は難しくなってきている一方で、意識レベルの流れについて捉えることはできるという話をしました。

世の中の流れをどのように捉えるとよいか
▼両極をもつ軸において意識の重心の移り変わりと捉えること
▼歴史的に見れば螺旋的発展として捉えること
▼その発展は連続的変化だけではなく飛躍的変化として現れる可能性があること

これまでの記事において、いいヴィジョンの要件についてお話しをしてきました。ここでそのポイントをまとめておきます。

いいヴィジョンの要件
▼【主体的真理とのつながり】自分の、そして、チームメンバーの主体的真理とつながっており、内なるエネルギーが引き出されている
▼【野心ではなく志】自分のためだけ(野心)ではなく、自分を含めた周囲の人のため(志)になっている。そして、内なるエネルギーと志が両立している
▼【意識の変容を伴う】現象面の変化だけではなく、意識の変容を含意している
※原因的要件のみを列挙。結果的要件についてはこちらの記事参照

今回の記事では、このような要件を満たすヴィジョンをどのように構想していけばいいのかについてお話しします。

ここでは、ヴィジョンの構想という表現を使っていますが、ヴィジョンを創造する場合であっても、既にあるヴィジョンを再解釈する場合であっても、その本質は変わりません。ご自身の観点から、イメージしやすい方で解釈していただければと思います。

主体的真理から始める
ヴィジョンを構想するにあたって、もっとも大切なことは自分の主体的真理から始めることです。

一般的なアプローチとして、ヴィジョンを構想するためには、世の中の流れを知っておく必要があるということで、政治、経済、社会や技術の動向などを考えていくものがあります。これ自体、意味のあることではありますが、一番始めにやることではないというのが私の考えです。

ヴィジョン構想の初手は、主体的真理につながることです。

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いいヴィジョンの要件に、「自分の、そして、チームメンバーの主体的真理とつながっており、内なるエネルギーが引き出されている」というものがありました。主体的真理から始めることが、この要件を満たすことにつながります。

ソニーの設立趣意書に記載されている以下の内容をご存知の方も多いのではないでしょうか。

「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」

ここに、技術者の方々の技能とエネルギーが最大限発揮されるような工場を創りたいという思い・エネルギーを感じるのは私だけではないでしょう。ソニーの創業者の方々の主体的真理とつながっていることが、このような思い・エネルギーを感じさせる源泉になっていると私は思います。

主体的真理をテーマとした章においても話しましたが、主体的真理は内なるエネルギーの源ですから、その全てが言語化できるものではありません。一定レベルで言語化できていると思える人は、それはそれで素晴らしいことですが、言語化できていなかったとしても全く問題ありません。

主体的真理からくる内なるエネルギーを感じることが大切です。言語化は、内なるエネルギーにつながりやすくなる手段の1つに過ぎません。

どのように主体的真理につながれば良いのかについては、以下の記事を参考にしてください。

過去記事:「主体的真理を捉えるためには、どうしたらいいのか?①」

過去記事:「主体的真理を捉えるためには、どうしたらいいのか?②」

私自身の例でいえば、私の主体的真理は次のようなイメージです。

【私自身の主体的真理(を最大限純度高く表現したもの)】
本質追求による大いなるものとの一致感

2003年に起業したときに考えたヴィジョンも、意識の意識化を探求するプロジェクトにおけるヴィジョンも、この主体的真理から始まっています。主体的真理から始めているので、長い時間が経過しても、内なるエネルギーを感じ続けることができています。そして、「石にかじりついてもやり続ける」という意思を持ち続けることができています。

意識の自然な流れと、意識の偏在のギャップに注目する
主体的真理から始めることが初手とするならば、ヴィジョンを構想するための次の手となるものが、「周囲や社会の流れを捉える」ということです。ヴィジョンは、「内なるエネルギーとしての主体的真理」と、「外側のエネルギーとしての周囲や社会の流れ」の重ね合わせになります。

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自分の内側と外側の重ね合わせになりますが、あくまでも内側が主体であり、初手であると私は考えています。これを逆にしたり、内側を無視したりすると、そのヴィジョン実現のエネルギーが枯渇してしまいます。

一方で、大きな変革をもたらすヴィジョンを構想するためには、外側のエネルギーとの重ね合わせをすることも大切です。これがないと、こじんまりとしたヴィジョンになってしまいます。大きいからいい、小さいからよくないという話ではありません。ただ、本来の主体的真理からすると大きなヴィジョンを描けるものが、外側のエネルギーの重ね合わせがないがために、こじんまりしてしまうのはもったいないという趣旨です。

さて、「意識の自然な流れと、意識の偏在のギャップ」とは何かについてお話ししましょう。

先ほど、一般的なアプローチとして、ヴィジョンを構想するためには、世の中の流れを知っておく必要があるということで、政治、経済、社会や技術の動向などを考えていくものがあるという話をしましたが、外側の流れを見るという意味では一緒ですが、注目している内容が異なります。

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その違いとは、目に見える世界に注目しているか、目に見えない世界に注目しているかの違いです。目に見えない世界というのは、意識の所在や流れを掴むということです。上図において、下半分の物質・具象の世界ではなく、上半分の意識の所在や流れの世界に注目するということです。

なぜ、意識なのか?それは、これまでの記事でもお話ししましたが、現象の根源には意識があるからです。

現象

現象の構造・背景

行動

決断

思考・感情

メンタルモデル(信念体系)

直感(主体的真理)

自己(自意識の主体)

意識の流れがあるから、現象の流れがそれに追随します。換言すれば、意識の流れを掴むことができれば、現象の流れを読むことができます。

意識の自然な流れ・・・周囲や社会や世の中の集合的な意識が、自然と向かっている方向性
意識の偏在・・・上記の意識の自然な流れに反して、何らかの因果、利害関係、組織力学などによって、集合的な意識が偏在していること

そして、意識の流れを掴むというのは、具体的には上記の「意識の自然な流れ」と「意識の偏在」を捉えるということです。

具体的な例でお話ししましょう。今日の学校教育のあり方に問題意識を持っている人は多いと思いますが、それを意識の自然な流れと、意識の偏在という観点から考えて見ると次のようになるでしょう。

(学校教育のあり方の例)
意識の自然な流れ・・・外面に正解があって、その正解を導出する方法を効率的に習得するという教育ではなく、一人ひとりの好奇心やありたい姿を大切にして、周囲や社会と調和しながら生きていく力を涵養するような教育が必要なのではないか

意識の偏在・・・総合的な学習などの取り組みはやっているものの、外面にある正解を導出する方法を効率的に習得するという前提は変わっていない。

これは現在の学校教育の取り組みを否定するものではありません。総合的な学習において、一人ひとりの好奇心を育むような授業をされている学校や先生もいらっしゃいます。しかしながら、その動きや流れはまだ一部であり、上記のような意識の自然な流れと偏在のギャップはまだある状況ではないかと思います。

「意識の自然な流れ」と「意識の偏在」のギャップが大きければ大きいほど、その変革には大きなエネルギーを必要とします。言い方を変えれば、そのギャップが大きければ大きいほど、世の中の常識を転換するようなインパクトがある変革になります。

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すなわち、自分たちが構想するヴィジョンが、主体的真理につながっていることを前提とした上で、このような意識の偏在にアプローチするものであれば、それは多くの人の力を結集することができるヴィジョンになる可能性があるということです。

ここで改めて強調させて頂きたいことは、インパクトを求めるあまり、世の中における意識のギャップばかり考えて、主体的真理とのつながりが薄れてはいけないということです。主体的真理とのつながりが薄れてしまうと、自分の内なるエネルギーが枯渇してしまったり、共感・共鳴が得にくくなったりしてしまい、ヴィジョンを掲げても絵に描いた餅になってしまいます。

今回の記事では、ヴィジョンの構想プロセスの冒頭として、主体的真理から始めるということと、意識の自然な流れと意識の偏在とのギャップに注目するということをお話ししました。次回の記事で、ヴィジョンの構想プロセスの続きをお話ししたいと思います。

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2021.08.26