COLUMN コラム

チームメンバーとして、既にあるヴィジョンをどう捉えればよいのか?

落合文四郎
Alue co.jp CEO
2021.08.06

前回の記事では、内なるエネルギーと志の両立が難しいと感じる場合には、内なるエネルギーを捨象することなく、本音と建前を使い分けたり、自己開示することによって対処することについてお話ししました。

これまでのヴィジョンについての話は、リーダー的な立場の人がヴィジョンを描くことを想定して書かれていると思われた方もいらっしゃるかもしれません。ヴィジョンについてお話しをするときに、よくいただく質問の2つ目としては、次のようなものがあります。

リーダーの立場ではないので、チームのヴィジョンを掲げることはできない。その場合は、どのように考えればよいか

チームのリーダーの立場ではなく、メンバーやフォロワーの立場であるときは、チームのヴィジョンを打ち出すという場面は少なく、ヴィジョンは既に決まっている、あるいは、リーダーが打ち出すという場面が多くなるでしょう。

そのような場合に、メンバーの立場で、既に掲げてあるヴィジョンをどのように捉えればよいのかという問いになります。

チームのヴィジョンを自分なりに再解釈する
結論から言えば、チームのヴィジョンを自分なりに再解釈するということをお勧めします。

ヴィジョンを再解釈するというのは、チームのヴィジョンと、自分の主体的真理・ありたい姿・キャリアヴィジョンを重ね合わせて、その共通点を見出し、自分なりに解釈するということです。

こちらは、個人と組織の関係性が変わっていくということを表現した図になります。これからは「個人と組織の対等な関係、相互の主体的真理やありたい姿に基づいて、協働することに合意する関係」という時代になるということを以前の記事でもお伝えいたしました。

この「相互の主体的真理やありたい姿に基づいて協働する」ということと、先ほど申し上げた「チームのヴィジョンを再解釈する」ということは全く同じことを指しています。

個人と組織が対等な立場で協働していく関係になるためには、組織は個人の主体的真理やありたい姿を大切にする必要がありますし、個人は組織のミッションやヴィジョンを主体的に再解釈する必要があります。

チームのヴィジョンを再解釈するということを具体的な例でお伝えしましょう。

当社の2025年ヴィジョンの1つとして以下を掲げています。

「育成の成果にこだわる」を基本コンセプトとして、国内大企業育成マーケットにおけるトッププレイヤーになっている

そして、当社の社員に、次のようなありたい姿をもつ人がいたとします。

自分が関わることによって、目の前の人の人生に選択肢が増えて、その人がイキイキと働くことを支援したい

このときに、自分のありたい姿とつながりながら、チームのヴィジョンを次のように再解釈していきます。

▼育成の成果にこだわる
・・・育成の成果というのは、育成対象者にとっての選択肢が増えること。育成の成果にこだわることによって、その選択肢の質が高まったり、より多くの選択肢をもつことにつながるな。
▼国内大企業育成マーケット
・・・自分にとっては、大企業であっても、中小企業であっても、個人であっても、「自分が関わることできる、目の前の人」という意味ではあまり変わらないな。見方を変えれば、大企業で働く人の支援をできることは、自分のありたい姿につながるな。将来的に、中小企業や個人にもサービス提供できるようになると、自分のありたい姿とさらに繋がってくるな。
▼トッププレイヤー
・・・トッププレイヤーになればなるほど、一筋縄ではいかない難易度が高い案件も増えてくるだろう。そのような難しい状況でも、「選択肢を増やすこと」に貢献できることは、自分のありたい姿とつながるな。

ポイントは、いい・悪い、肯定する・否定する、というイメージではなく、共通する部分を積極的に見出していき、解釈していくということです。上記の例では「育成成果にこだわる」というヴィジョンを「選択肢の質が高まったり、より多くの選択肢をもつ」と再解釈して、共通点を見出しています。

このような再解釈ができれば、チームに所属して働くときに、チームのヴィジョンへのつながりと、自分の内なるエネルギーへのつながりを両立することができるのではないでしょうか。

自分の主体的真理と、チームのヴィジョンの違いを大切にしておく
一方で、チームのヴィジョンの構成要素全てについて、無理に共通部分を見出そうとする必要もありません。積極的に共通点を見出していくのはいいアプローチですが、無理に共通化させていく必要はないというニュアンスです。

上記の例でいえば、ヴィジョンは「大企業」に絞られているのに対して、個人のありたい姿としては「中小企業や個人」ということも想定しています。違っているからダメではなく、違いは違いとして大切にしておくというイメージです。

この「違い」は、「個性」です。その個性を大切にすることが、自分自身を大切にするということですし、チームからすれば、そのような多様な個性を包摂することによって、組織の多様性を涵養することができ、イノベーションが生み出しやすくなったり、危機対応が適切にできるようになったりします。

いい・悪いという話ではありませんが、個性化・集合化という組織文化の軸において、日本は集合化が強い文化を持ちます。これがいき過ぎてしまうと、同質性を良しとする雰囲気になってしまい、「違うこと=良くないこと」という感覚をもってしまうことがあります。

このようないき過ぎた同質性の雰囲気は、個人にとっては個性を大切にすることが難しくなり、チームとしては多様性を失うことにより、イノベーションが生み出しにくかったり、危機対応において一部の偏った考え方に傾倒してしまい、適切な対応がとれなかったりします。

そのような意味においても、チームのヴィジョンと、個人の主体的真理の「違い」は、個人にとってもチームにとっても貴重なものなので、捨象することなく大事にしてほしいと私は願っています。

ヴィジョンの創造と、ヴィジョンの再解釈はほとんど同じ
ここまでお読みいただいて、ヴィジョンを創造するということと、ヴィジョンを再解釈するということの本質はほとんど変わらないということに気づかれた方も多いのではないでしょうか。

いいヴィジョンの要件(原因的要件)として、次の3つを挙げていますが、これはヴィジョンを再解釈するというときも当てはまります。

▼【主体的真理とのつながり】
→主体的真理とつながりながら、再解釈する。
▼【野心ではなく志】
→野心ではなく志で再解釈できると望ましい。ただし、内なるエネルギーとのつながりが切れないようにする。
▼【意識の変容を伴う】
→既にあるヴィジョンには、どのような意識の変容を含意しているのか、あるいは含意させることができるのかを考えながら、再解釈する。

ヴィジョンを新しく創り出すのか、既にあるヴィジョンを再解釈するのかは、ほとんど違いはありません。また、リーダー的立場なのか、メンバーの一員としての立場なのかも、ほとんど違いはないと言えるでしょう。

今回、一番お伝えしたかったことは、「だれでも、立場によらず、いいヴィジョンを設定できる」ということでした。

落合文四郎blog
2021.08.06