COLUMN コラム

内なるエネルギーと志の両立が難しいと感じた時に読む記事

落合文四郎
Alue co.jp CEO
2021.07.29

前回の記事では、いいヴィジョンの原因的要件と結果的要件のつながりについて考え、原因的要件を満たすようにヴィジョンを創っていき、その後で結果的要件を満たすように表現することが大切であることをお伝えしました。

いいヴィジョンの要件
▼【主体的真理とのつながり】自分の、そして、チームメンバーの主体的真理とつながっており、内なるエネルギーが引き出されている
▼【野心ではなく志】自分のためだけ(野心)ではなく、自分を含めた周囲の人のため(志)になっている。そして、内なるエネルギーと志が両立している
▼【意識の変容を伴う】現象面の変化だけではなく、意識の変容を含意している
※原因的要件のみを列挙。結果的要件については前回の記事参照

これまで、いいヴィジョンの要件についてお話ししてきましたが、ヴィジョンについてお話しする時に、よく質問をいただくことがありますので、今回はその点についてお話ししたいと思います。

よくいただく質問の1つは次のような内容です。

リーダーの立場にいるが、内なるエネルギーと志を自然と両立できる感覚を持てない場合はどうすればよいのか

このような問いがたつことは大変素晴らしいと思います。この問いがたつということは、自分の内なるエネルギーを捨象することなく大切にしていて、かつ、多くの人に共感してもらえるような志を打ち立てることに本気で向き合っているということだからです。

「内なるエネルギー」を優先する
リーダーの立場となると、自分のエゴを全面にだすことは難しくなります。リーダーに対する期待が形成されますので、一定レベルでその期待に沿った振る舞いをすることが求められるからです。そのような中で、「内なるエネルギー」を全開に出して行くことの難しさを感じることは頷けます。

とはいえ、内なるエネルギーをなかったことにする、蓋をしてしまうということはお勧めしません。内なるエネルギーを押さえ込んでしまうと、ヴィジョンとして掲げたものを追求していくエネルギーが切れてしまったり、内なるエネルギーが別の形(多くの場合、本来の自分にとって望ましくない形)で現れてしまうことがあります。

このようなジレンマの中において、どのようにするのがいいかという問いが、最初に掲げてある問いの意味になります。

結論から言えば、私は「内なるエネルギーを優先する」ことをお勧めします。理由としては、以下の記事でも書いたように、自分の中の次元の低い(精神的成熟における前段階の)願いを満たすことによって、すなわちエゴを満たすことによって、自分の願いの純度が上がっていくからです。

これは一見矛盾したことのように思えます。精神的成熟に目を向けるならば、あるいは、志をもつためには、自分のエゴには捉われてはいけないと考えるのが普通ではないでしょうか。

エゴは無視するから消えていくのではなく、エゴは満たすことによって浄化されていくのです。もちろん、何が何でもエゴ的要素を満たすというのではなく、周囲との調和(家族や仲間とうまくやる、仕事を一定レベルで成り立たせる、法律や道徳観を守るなど)を保ちながら、自分のエゴ的要素を満たしていくということです。

すると「リーダーという立場において、自分のエゴ的要素からくるエネルギーをどのように出していけばいいのか」という疑問がわきます。自分のエゴ的要素も大切にするという話と、リーダーに対する期待を一定レベルで満たすという話は矛盾しますね。

そのようなときは、以下の2つのいずれかしっくりくる方法を試してみてください。

X: 本音と建前をうまく使う
→リーダーの立場として、「志を表現する」。その志と、自分の内なるエネルギーは少し乖離があることを自覚しながら、志を表現することで周囲からの期待を一定レベルで満たす。一方で、自分の内側では、自分のエゴ的な願いを認め、その内なるエネルギーとつながっておく。

Y:自己開示する
→リーダーの立場としては志を表明するべきではあるが、自分のうちなるエネルギーの源泉は、正直にいって自分のエゴ的な願いにあることを周囲に自己開示する。

Yができるとパワフルです。自己開示できて、それを周囲の人も受け止めてくれるような関係性になれば、自分の内なるエネルギーにつながりながらも、周囲との調和を無理なく維持することができます。もし、そのようなことが実現できれば、精神的成熟の段階が一段進んでいると言っても過言ではないかもしれません。

Yができるとパワフルですが、常にYを実現しようとしなくてもいいと私は思います。チームが形成されてきた経緯や段階にもよりますし、チームメンバーとの関係性にもよる話だと思います。一部の人とはYのアプローチをとることができ、そのほかの人にはXのアプローチをとるというのも現実的かもしれません。

私は、XとYの違いよりも、XとYに共通している要素が最も大切だと考えています。XとYに共通している要素というのは、「自分の内なるエネルギーが湧き出てくるエゴ的な(次元の低い)願いに自覚的になっている」ということです。

XもYも、エゴ的な願いに自覚的になっていることは共通しており、違いはその表出のさせ方です。Xは表出させていませんが、Yは表出させています。このことは、もう一つのアプローチと比較してみるとわかりやすくなります。

Z:エゴ的な(次元の低い)願いを無視する
自分の内なるエネルギーが湧き出てくるエゴ的な(次元の低い)願いを無視する、あるいはなかったことにする。そして、綺麗な志を周囲に語り、自分の中でもそれのみが自分の願いだと信じ込む

リーダーの立場になったときに、Zのアプローチをとってしまうことがあります。私自身も、このアプローチをとっていた時期がありました。しかし、自分が自分に嘘をつくことになってしまい、自分のエネルギーが失われていくような感覚がありました。そして、社員からも「最近、社長の元気がない」とか「もっと、我を出してください」と言われるくらい、私のエネルギーが失われていることを周囲の人々が感じるようになりました

そのときから、自分のエゴ的な要素にも目を向けるようになりました。そして、それを無視せずにつながっておくことで、少しずつそのエゴが満たされて、薄まっていくようになりました。また、それと同時並行的に、自分が語っている志が、自分の深いところとつながっていることに気が付き始めます。

今も昔も、自分が語る志の表現は変わっていません。しかし、それが自分の奥底にあるものとのつながりは強くなっています。そのように感じることができたのも、自分のエゴ的な要素に蓋をしたからではなく、むしろ大事にして満たすようにしたからです。

このような経験から、Zではないことが大切であって、XというアプローチとYというアプローチについては、Yが実現できればより望ましいものの、どちらのアプローチも用いる、そして、使い分けるのが現実的と考えています。

Y:自己開示する
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X:本音と建前を使い分ける
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Z:エゴ的な(次元の低い)願いを無視する

今回の記事のおいては、内なるエネルギーと志の両立が難しいと感じる場合には、内なるエネルギーを捨象することなく、本音と建前を使い分けたり、自己開示することによって対処することについてお話ししました。

落合文四郎blog
2021.07.29