COLUMN コラム

野心と志は何が違うのか?(いいヴィジョンの要件②)

落合文四郎
Alue co.jp CEO
2021.07.08

前回の記事では、いいヴィジョンの要件の一つとして、「主体的真理とのつながりがあること」、別の角度で表現すれば、「石にかじりついてもやり続ける」人が一人でもいること、についてお話ししました。

今回の記事でも、引き続き、いいヴィジョンの要件について考えていきたいと思います。

いいヴィジョンは、野心ではなく志
みんなで大きなことを成し遂げようとするときに、ヴィジョンが必要になります。

「早く行きたければ1人で行け。遠くに行きたければ、みんなで行け。」

前の記事で紹介したアフリカのことわざです。「みんなで遠くに行く」ことを選択したときに、「ではどこに行こうか」ということを自然と考えたくなるものがヴィジョンであるという話をしました。

ヴィジョンには、野心と呼ばれるものと、志と呼ばれるものの2種類があります。

野心:自分だけの中に閉じた夢であり、自分のためだけの夢

志:自分だけではなく周囲の人のためにもなる夢

野心は、「自分のため」の夢であり、志は「自分を含めたみんなのための夢」です。自分のためだけの夢だとすれば、周囲の人からの共感や共鳴を得ることは難しくなります。自分のためだけではなく、周囲の人のためにもなる夢だからこそ、多くの人の共感や共鳴を得ることができ、結果的に「みんなで遠くにいく」ことが実現できます。

これは、ヴィジョンの表現上の問題ではなく、心の底でどのように捉えているかという問題です。心の底では、自分の損得のことを第一に考えていながら、表現として「みんなのため」ということを訴えても、周囲の共感や共鳴を得ることは難しいでしょう。ヴィジョンを伝えられる立場からすると、ヴィジョンを訴えるリーダーの本心というのは、直感的に透けて見えてくるものです。

また、野心と志というのは、白か黒かという二元論的な話ではなく、程度の問題であるということにも注意が必要です。野心と志についての定義において「自分」という言葉を「自分の会社」や「自分の国」に置き換えてみてください。自分にとっては、自分だけではない夢であったとしても、大きな視点でみれば自分の会社の中に閉じた夢であるということもあり得ます。

自分 → 職場 → 部署 → 会社 → 国 → 人間社会 →地球

このような包含関係があるとしたときに、どのような視点で捉えるかによって「野心」的なものか「志」的なものかは程度の問題であることがわかるでしょう。

ヴィジョンにおいて想定する「共通善(関わる人にとって共通の善いこと)」の範囲によって、そのヴィジョンに共感・共鳴する人の範囲が決まってきます。その意味では、より多くの人にとっての共通善をヴィジョンとして掲げることができるほど、たくさんの共感・共鳴を得ることができる可能性があると言えます。

内なるエネルギーと志の両立
ここまで、ヴィジョンは野心よりも志であることによって、「みんなで遠くに行く」ことが実現できるという話をしました。

ここで一つの難しい問題にぶつかります。

自分の野心ではなく志に近づけようとしたときに、自分の内なるエネルギーとのつながりが弱まってしまうことがあるということです。

主体的真理に、大小・善悪・貴賎はありません。あるのは、本来の自己とのつながりがあるかどうかだけです。その主体的真理からくるエネルギーを自然に表現するとどうしても野心になってしまうという場合もあるでしょう。

・自分が好きなことをやっていたい
・お金持ちになりたい
・周囲から認められたい

このような気持ちが心の底があるときに、この気持ちを素直に表現すれば、野心的な内容になります。それをお題目的に「みんなの役に立つことで、、、」という接頭語をつけたところで、あまり意味はありません。

「内なるエネルギーがでてくる」ということと、「野心ではなく志」ということをどのように両立するのかという問題があるのです。

結論から言えば、「精神的成熟」が両立の鍵となります。精神的成熟とは「本来の自己と周囲・社会との調和に向けて、意識が段階的に変容していくこと」であり、一言で言えば「ジブンと捉える範囲が広がる」ということです。

自分と捉える範囲が広がりますので、「自分の内なるエネルギーがでてくる」ことと「野心ではなく志(自分だけのためではなく周囲のため)」ということが自然と両立できるようになります。

以前の記事で、「リーダーは自分の何を磨くべきか」について書きましたが、リーダーが自分の精神的成熟に目を向けるべきだということを申し上げたのは、まさにこの「内なるエネルギーと志の両立」ができるようになるためでした。

ここで大切なことは、内なるエネルギーと志を両立をするときに、表面的に一つにまとめようとするのではなく、本質的には自分の精神的成熟に目を向けることによって、自然と両立してくる感覚を大切にするということです。

表面的に一つにまとめようとするというのは、例えば、ヴィジョンは志として表現する必要があるから、自分のエゴ的な要素はなかったことにする、あるいは、自分の中で良くないものとして蓋をしてしまう、ということです。このように、内なるエネルギーを捨象してしまうと、どこかでエネルギーが切れてしまったり、蓋をされたエネルギーが別の形(多くの場合、本来の自分にとって望ましくない形)になって現れてきてしまうことがあります。

私自身は、自分のエゴ的な要素に蓋をしてしまうことによって、それが「自分だけで背負っている感覚」という形となって、自分あるいは組織にとって良くない形として現れてしまうことがありました。最近では、自分の精神的成熟に目を向けることによって、自分の願いを捨象せずに、志に自然と立脚することができる場面が増えてきたと感じています。

今回は、いいヴィジョンの要件の1つとして、「野心ではなく志」であること、そして、「内なるエネルギーと志の両立」が大切であることをお話ししました。

落合文四郎blog
2021.07.08