COLUMN コラム

なぜ、ヴィジョンがお題目になってしまうのか?(いいヴィジョンの要件①)

落合文四郎
Alue co.jp CEO
2021.07.02

前回の記事では、なぜ、いまヴィジョンが大切かについて、個人と組織の関係性が変わっていく時代の流れにおいて、「みんなで遠くにいく」ことを選択して、中長期的に一貫性をもって取り組んでいくための中核となるものがヴィジョンであるという話をさせて頂きました。

今回の記事では、いいヴィジョンとは何か、について、意識の意識化の観点からお話しします。ヴィジョンについては、すでに多くの経営書などにおいてその定義や重要性は示されていると思いますが、意識の意識化の観点から光を当ててみると、違う切り口で捉えることができます。

ヴィジョンとは何か
まずは、ヴィジョンの定義を確認しておきましょう。

ヴィジョンの定義(落合の考え):
ミッションの実現に向けて、創造される未来の世界と、その世界で最高の発展を遂げている自分たちの将来像

※ミッションの定義(落合の考え):
コミュニティや個人が永続的に追求し続ける目的

ヴィジョンは、一言で言えば「将来像」です。上記の定義においては、自分たちの将来像と、自分たちもその一員となって創造する世界という将来像の2つを含めています。それは、ヴィジョンというものが自分たちだけのためというものではなく、自分たちをとりまく大いなるもののためでもあることが大切であるという考え方が背景にあります。

また、ヴィジョンという将来像を描くためには、その根源としての目的感覚が必要です。一般的にはミッションと呼ばれていますが、私はこれを個人として、あるいは組織としての主体的真理と捉えることができると考えます。

ヴィジョンが最初にあるのではなく、主体的真理やミッションといった目的意識があって、それがある特定の時間軸で将来像として具象化したものがヴィジョンとなります。

いいヴィジョンは、主体的真理とつながっている
ここまでヴィジョンの定義についてお話しをしてきましたが、ここからは「いいヴィジョン」とは何かについて考えていきたいと思います。

いいヴィジョンの要件の1つは、「主体的真理とのつながり」です。主体的真理とは、「自分にとって生きがいとなる理想、自分固有の生きる目的」です。主体的真理について詳しく知りたいという方は、この記事をご参照ください。

さきほど、ヴィジョンが先にあるのではなく、主体的真理やミッションが先にあるという話をしましたが、いいヴィジョンには主体的真理やミッションとのつながりを感じる何かが含まれています。

いくつかの事例をご紹介しながら、もう少し噛み砕いてご説明します。

一つ目の事例として、1960年頃にアメリカの公民権運動を主導したキング牧師の有名な演説「I have a dream (私には夢がある)」を取り上げたいと思います。下記は、その演説の一節となります。(訳は、筆者による意訳)

(Martin Luther King memorial in Washington)

I have a dream that one day this nation will rise up and live out the true meaning of its creed: “We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal.”
いつの日か、この国が立ち上がり、「我々はこれらの真理を自明のものとし、すべての人間は平等に創られている」という信条の真の意味を生きるようになるという夢があります。

I have a dream that one day on the red hills of Georgia, the sons of former slaves and the sons of former slave owners will be able to sit down together at the table of brotherhood.
いつの日か、ジョージア州のレッドヒルで、元奴隷の息子たちと元奴隷所有者の息子たちが、同じテーブルに、兄弟として一緒に座ることができるようになるという夢があります。

(中略)

I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character.
いつの日か、私の4人の子供たちが、肌の色で判断されるのではなく、人格という中身で判断されるような国に住むという夢があります。

この演説はとても有名なので、みなさんも聞いたり、読んだりされたことがあるのではないでしょうか。もし、まだスピーチを聴いたことがないという方がいれば、是非とも一度聴いてみることをお勧めします。(例えば、こちら)

このスピーチでは、明確なヴィジョンが示されているというだけではなく、キング牧師の強い使命感、生涯をかけてやり抜く覚悟のようなものを感じるのは、私だけではないでしょう。これが、まさにミッションや主体的真理とのつながりと言えるものです。

キング牧師のような人でないと、そんな使命感や覚悟をもつのは無理なのではないか、と思う人もいらっしゃるかもしれません。確かに、公民権運動のような社会全体の問題に対して、影響力を与えるようなリーダーシップを発揮できる人は極めて限られていると思います。

しかし、大切なことは、結果としての影響力の範囲ではなく、主体的真理につながることで、内なるエネルギーが湧いていることを感じられるかどうかではないでしょうか。

内なるエネルギーが湧くことによって、一貫してそのヴィジョンの実現に取り組むことができます。そして、その内なるエネルギーが、周囲の共感や共鳴を生み出し、自分一人ではなく周囲の人と一緒にヴィジョンの実現に取り組むことができます。

ヴィジョンは、主体的真理から始まるのです。

石にかじりついてもやり続ける人がいるか
ヴィジョンは、主体的真理とつながっているということを、別の角度から表現すれば、「いいヴィジョンとは、石にかじりついてもやり続けようとする人がいる」と言うこともできます。

みなさんが所属するチームや組織のヴィジョンに対して、「石にかじりついてもやり続ける人」はいますか?

「石にかじりついてもやり続ける人」が少人数、あるいは、一人であったとしても、そのような人がいるならば、そのヴィジョンは、いいヴィジョン、あるいは、いいヴィジョンになるポテンシャルを秘めているものと言えます。

逆に、どんなに表現が素晴らしいヴィジョンであったとしても、石にかじりついてでもやり続ける人が一人もいなければ、いいヴィジョンであるとは言えません。

新しくチームを作ったり、起業をしたりするときに、チームのヴィジョンを考える場面があると思います。このようなときに、陥りがちなことは、「チームのみんなにとって良いと思えること」を考えようとしすぎるがあまり、「誰にとっても、石にかじりついてでもやり続けようとは思えないもの」になってしまうということです。

チームのみんなにとって良いと思えることを考えることは大切ですし、そのようなアプローチが間違っているわけではありません。しかし、その過程において、一人ひとりの主体的真理とのつながりが捨象されてしまうと、最も大切なことが失われてしまうリスクがあることを十分に認識しておく必要があります。

この点について、当社の事例をご紹介したいと思います。ヴィジョンの話ではないのですが、当社の経営理念の一つとしてバリュー(チーム内で共有したい価値観)を再定義しようとしたときの話になります。

2010年頃に、当社のバリューを再定義しようという提案があり、ボトムアップ的なアプローチで、全社員の意見を引き出して、それを集約していきながら創ることになりました。

当社は、2003年10月29日に創立されたのですが、毎年10月29日頃に、創立記念イベントとして交流を深めたり、経営理念を共有したりするイベントを行っています。その時は、この創立記念イベントという機会を活用して、全社員の意見を集めていこうということになりました。

全社員の意見を引き出していくアプローチはとてもよく、全員で活発に議論をして、10個程度の新しいバリューが言語化されました。バリューの内容も素敵な内容でしたし、そのプロセスも包摂的で一人ひとりの参加感も高いものだったと思います。

そして、この新しいバリューを創って終わりではなく、それを継続的に共有していく仕掛けなども考えていました。しかしながら、2年くらい経過したところで、そのバリューは言葉としては残ってるものの、自分を含めて、社員一人ひとりの心の中にはあまり残らないものになってしまったのです。

その理由としては、「みんなにとって良いものであった」ということは事実だった一方で、「石にかじりついても、やり続けよう」というところまでは至らなかったのではないかと私は捉えています。

ボトムアップのアプローチが悪かったということではありません。それは、素晴らしい取り組みでした。一人ひとりの意見を吸い上げて、チーム全員にとって参加感があって、良いと思えるものを作るという姿勢もよかったと思います。一番反省するべきは、私自身が「石にかじりついてもやり続けよう」というレベルまで覚悟できていなかったことでした。

そのような反省を踏まえて、2012年にアルーのバリューを再度策定し直しました。このときは、一人でもいいから、「石にかじりついてもやり続ける」人がいるということを大切にしました。その一人とは、社長である自分であるべきだろうと考え、バリューの再策定にあたっては、最後は私が決めて、私の腑に落ちる表現にするというアプローチをとりました。

前回のバリュー策定の反省もあったので、そのようなアプローチを取ることに対して、皆賛同してくれました。そのようにして策定した当社のバリューは、今でもしっかりと残っており、企業文化として根付いています。

今回の記事では、いいヴィジョンの要件の一つとして、主体的真理とのつながりがあること、別の角度で表現すれば、「石にかじりついてもやり続ける」人が一人でもいること、についてお話ししました。

落合文四郎blog
2021.07.02