COLUMN コラム

自己信頼は、後天的に獲得できるのか?

落合文四郎
Alue co.jp CEO
2021.06.17

前回の記事では、リーダーの自己信頼がチームの心理的安全性を生み出すと言うことについてお話ししました。自己信頼をテーマとした章も、大詰めです。今回の記事では、この章の最後のテーマとして、自己信頼は恵まれた人だけのものなのか、誰であっても獲得可能なものなのかについてお話し致します。

「自己信頼」は、恵まれた人だけのもの?
以前の記事で、友人のKさんや社員のNさんとのやりとりの中で、私自身が「自己信用」は高くても「自己信頼」は低いことに気付かされたというお話しをしました。

そのときは、自己信頼が弱いことは理解することができても、それが後天的に獲得可能なものなのかどうかは、明確に理解できていませんでした。

そのような中で「自己信頼は後天的に獲得可能か」ということが、自分の中に明確に問いとしてたった出来事がありました。

当社に入社する新人研修において、当社の経営理念を新人の方にお伝えするセッションを毎年行なっています。その中では、当社の理念を伝えるだけではなく、その場の流れに応じて、ざっくばらんな対話になることが多いのですが、その中で自己信頼と自己信用の話になりました。

その中で、自己信頼と自己信用は違うという話から始まり、自己信用はいろいろな努力の積み重ねによって後天的に獲得できるけれども、自己信頼は先天的、あるいは、幼少期の体験の影響が大きいのではないかという話になりました。

そのときに、新人のAさんが「自己信頼が後天的に獲得可能でないとすると、とても寂しい感じがしますね」という趣旨のことを話しました。その一言が、自分の琴線に触れます。自己信頼が弱いということを自認していながら、なすすべを持つことができていない自分への一筋の希望のように思えました。

新人のAさんのコメントを契機として、自分の中で、「自己信頼は後天的に獲得可能か」という問いが明確になり、これを探求していくこと、そして願わくばそれが「後天的に獲得可能である」という結論を得られることを、強く願うようになりました。

意識が起点ならば、過去の経験は関係ない
過去に過ごした環境は、「自己信頼」に大きな影響を及ぼします。特に幼少期の体験は、自己信頼に大きな影響を及ぼすと私は考えます。その中でも、親のあり方や、親との関係性がどのようなものであったかについての影響は大きいでしょう。

しかし、過去に過ごした環境はどうであれ、いまこの瞬間から自分を「信頼」し始めることは可能であると私は考えています。

自己信頼は、メタ意識から直感・思考・身体の3つの意識を通してありのままの自分を捉えること(=自己一致)の繰り返しで醸成されるものでした。詳しく振り返りたい方は、次の記事をご覧ください。

過去記事:「自分への信頼は、どのように生み出せるか?」

ここで重要なのは、起点が自分の意識であることです。起点が自分の意識ということは、周囲の環境は関係ありません。

直感意識の主体的真理に耳を澄ませ、思考意識の固定概念や思考パターンを認識し、身体意識で感じることに素直になる。ある程度の長さの期間は必要になりますが、この考え方をイメージしながら日々過ごすことで、過去の経験とは関係なく、ありのままの自分に近づくことができます。

過去の経験で身に付くのは「信頼」ではなく「信用」
とはいえ、自信をつけるためには過去の経験が重要、という反論もあるかもしれません。

勉強をしていい成績がとれれば、勉強に対して自信を持つことができます。あるスポーツでいい結果がでれば、そのスポーツに対して自信を持つことができます。周囲から褒められれば、その褒められた点について自信を持つことができます。自分で諦めずに努力をすることで、何かを成し遂げた経験があれば、やればできるという自信をもつことにつながります。

これらの経験はどれも貴重なものであることに間違いありませんが、無条件の「自己信頼」というよりは、条件付きの「自己信用」を高める例です。

一方で「自己信頼」は、自分がこれまでとってきた言動や結果などとは関係なく「ひとりの価値ある人間である」と認めることです。

そもそも「信頼」とは、客観的な事実や経験とは関係なく、無条件に自分を信じることだと定義しました。つまり、定義上「信頼」に過去の経験は関係ないのです。仮に、これまで「自己信頼」を一度も実感したことがない人であっても、自分の意識を起点に「自己信頼」の感覚を得ることは可能です。

自分の光と影に「ただ気付く」
自己信頼の感覚がないところから、自己信頼の感覚を見出すプロセスをもう少しだけ詳しく説明します。

「自己信頼」の起点は、3+1意識モデルのすべての意識を使ってありのままの自分を認識すること(=自己一致)でした。

このとき、普段は抑圧しているネガティブな自分も、ありのまま直視することになります。光と影を両方認めるイメージです。例えば、「自己信頼」の感覚に乏しかった人であれば、自分を条件付きでしか信用できていないことをただそのまま認識するのです。

これを繰り返すうちに「ポジティブな面も自分だし、ネガティブな面も自分であり、その全体としての自分が自分」という認識ができるようになります。体感覚としては、「ただありのままの自分がいつもそこにいる」といった感じでしょうか。

繰り返しになりますが、これは周囲の状況や過去の経験とは関係なく誰にでも可能です。そう、いまこの瞬間の自分を起点に、「自己信頼」を培うことができるのです。過去の経験は関係ありません。これは、非常にパワーのある事実です。

自己一致をしやすくする「体質改善」
最後に、自己信頼の元となる自己一致について、自己一致をしやすい自分になっていくための、「体質改善メニュー」の具体的イメージをお伝えしたいと思います。

この内容を全てやらなければいけないという話ではありません。あくまでの例示であり、この中でピンとくるものを選んで試してみる、あるいは、この全体感のイメージを捉えた上で、自分なりの方法を編み出して試してみるという感じで捉えていただけると有難いです。

改めて、自己一致の定義を確認させていただきます。

自己一致の定義(落合の考え)
メタ意識から、直感、思考、身体意識をありのままに捉えること

この中で「それぞれの意識をありのままを捉える」というのは具体的にどういうことなのかという疑問をもたれる方もいらっしゃるかと思いますので、具体的なイメージを持っていただくために、「体質改善メニュー」を下記します。

自己一致しやすい自分になるための体質改善メニュー(例)

[①メタ意識の感覚をつかむ]
・メタ意識を意識する。自分の外側から自分を含めた世界を観察する意識を持つ。映画の主人公だけではなく、映画監督の意識に気づく
・その感覚を日記やノートに書き出す、人に話す
・瞑想する

[②身体意識の感覚をつかむ]
・自分の五感、快・不快、感情を意識して感じる
・基本欲求(睡眠欲・食欲など)を満たす
・身体のメンテナンスをする
・衣食住を心地よいものに整える
・お金と時間を自分の身体感覚の心地よさのために使う(見栄、名誉、他者評価など、自分にとっての直接的な身体感覚と関係ないことに使わない)
・スポーツや釣りやヨガなど、身体を使う活動を楽しむ

[③直感意識の感覚をつかむ]
・自分のエネルギーの湧出を意識して感じる
・ピンときたこと(直感)を大切にする
・縁やつながりを感じることを大切にする
・芸術やスポーツなど、自分がインスパイアされるものに触れる
・ずっと続けていること、興味があることの棚卸をする
・人生の流れを長い時間軸で振り返る(点と点を繋いでいく)

[④思考の前提となる価値観を捉える]
・自分の好き・嫌いを意識して感じる
・好きな人、ときめく人、大切な人と過ごす
・「縦の関係」ではなく、「横の関係」を意識する
・コミュニケーションにおける本音と建前に気づき、本音を増やしていく
・本音とは「自分の考えや気持ちを伝えるもので、相手を否定したり責めたりするものではない」という前提にする

[⑤全体共通]
・空白/遊び/「ゼロ」に戻すことを意識する
 -片づける/断捨離をする
 -気になっていることを完了させる。意識のスペースを空ける
 -時間と空間にスペースを空ける(空間としては遠くに行くのもあり)
・「ネガティブなことを感じる」ことを大切にする。判断を保留する
 -違和感、モヤモヤ、ザワザワを大切にする
 -不快、嫌い、矛盾や葛藤をなかったことにしない
・罪悪感、取引、べき論、善悪、損得、勝ち負けで判断していることを意識化して、それらの判断を保留したらどうなるかを感じ取る
・両親、先生、上司など精神的に上下関係、依存関係になりがちな人との関係性と向き合う
・精神的成熟が進んでいる人、純度が高い人と一緒に過ごす

いかがでしたでしょうか?繰り返しになりますが、これらを全てやらないと自己一致できないという捉え方ではなく、この中からピンときたものをいくつかピックアップして実践するだけで、自己一致できると捉えて頂ければと思います。

ここまで数回の記事にわたり「自己信頼」について述べてきましたが、「自己信頼は後天的に獲得することができる」というのが一番お伝えしたかったメッセージでした。誰でも、いまこの瞬間から、変わり始めることができます。私自身もその旅路の途上にあります。もし、「自己信頼」という感覚が必要な方の背中を少しばかりでも押すことができていたら、こんなに嬉しいことはありません。

今回で「自己信頼」シリーズはおしまいとなります。お付き合いいただいたみなさま、本当にありがとうございました。

落合文四郎blog
2021.06.17