COLUMN
コラム



自己信頼は、他者信頼を生み出す

前回の記事では、自己信頼とは何ではないのかについてお話しすることにより、自己信頼について立体的な理解を深めました。
今回の記事では、自己信頼の1つの重要な側面である「他者信頼」についてお話しします。他者信頼は、自己信頼とは一見異なるものですが、実は他者信頼と自己信頼は密接に結びついています。
自己信頼できると、相手を見る目も変わる
自己信頼には一つの重要な側面があります。それは、自分を無条件に信じられると、他者も無条件に信じられることです。逆に、自分を条件付きでしか信じられない人は、他者のことも条件付きでしか信じられません。
例えば、親子関係において、「いい成績を取ったからいい子」「わがままを言わなかったからいい子」といったコミュニケーションは、条件付きの信用です。このようなコミュニケーションばかり取ってしまう親は、子供を条件付きでしか信用できていないと同時に、自分自身も条件付きでしか信じられていない可能性があります。
上司部下の関係においても、同じようなことが言えます。「成果をあげるからいい部下」「自分の言うことを素直に聞くからいい部下」という考え方は、条件付きの信用です。このように部下を捉える上司は、部下を条件付きでしか信用できていないと同時に、自分自身も条件付きでしか信じられていない可能性があります。
このような条件付きの信用が絶対にダメ、という話ではありません。条件付きの信用のみで捉えていると、いろいろな歪みが起こりやすいという話です。言い方を変えれば、誰しも、このような条件付きで捉える場面はあるのではないでしょうか。そのときに、条件付きで捉えていることに自覚的になれるかどうか、無条件に信じるということができているかという問いがたつかどうかが大事ではないでしょうか。
条件付きで捉えているという状況を変えるには、「自己信頼」が起点となります。「ありのままの自分を無条件に信じる」という感覚を得ることができれば、他者に対しても「ありのままのその人を無条件に信じる」という感覚を持つようになります。
これを「他者信頼」というキーワードで呼ぶことにします。「他者信頼」ができているかどうかで、人同士の関係性は大きく変わります。
他者信頼の定義(落合の考え):
他者の存在や個性や主体的真理を無条件に認め、尊重すること
他者信頼とは、「他者の存在や個性や主体的真理を無条件に認め、尊重すること」と私は定義しています。自己信頼の定義「無条件に自分を信じること」ということと同じ意味です。他者信頼については、「無条件に他者を信じること」と表現すると、誤解を生む可能性があるので、より具体的な表現にしています。
どのような誤解が起こり得るのかを考えることによって、他者信頼についての理解を深めていきましょう。
他者信頼と他者依存は異なる
さきほど、自己信頼ができると他者信頼ができる、という話をしました。ここで、「自己信頼がなくても、他者信頼はできるのではないか。自分に自身がない状態でも、親や先生や尊敬する人などを無条件に信じている人はいる」という意見もあるでしょう。
しかし、私は自己信頼なき、他者信頼はないと考えています。自己信頼がない状態で、他者を無条件に信じているという現象はあるかもしれませんが、それは他者信頼ではなく、他者依存であると考えるからです。他者依存とは、自立した自分がない状態を指します。
他者信頼は、自立した自分が他者を無条件で信じることであるのに対して、他者依存は、自立していない自分が他者を無条件で信じることであると言えます。
ただし、依存という状態が悪いという話ではないことに注意が必要です。幼い子供は、親に依存します。ですから、依存すること自体が悪いという話ではありません。
子供が親に依存した状態から始まり自立していくのと同じで、ある時に依存状態があったとしても、自立していくというプロセスにあるかどうかが大事です。そのためには、自己信頼を確立していくことが大切であり、自己信頼ができると共に、(他者依存ではない)他者信頼の感覚を得ることができます。
他者信頼(落合の考え):
(自立した自分が)他者の存在や個性や主体的真理を無条件に認め、尊重すること
他者信用(落合の考え):
(自立した自分あるいは、自立していない自分が)他者を条件付きで信じること
他者依存(落合の考え):
(自立していない自分が)他者を無条件で信じること
他者信頼と、他者の言動全てを肯定することは異なる
また、他者を信頼することと、他者の言動を全て肯定することは違います。他者を信頼することは、その人の存在や個性や主体的真理を尊重して、認めることであり、その人の言動全てを是とするという話ではありません。その人が主体的真理につながるために、その人の言動に敢えて「No」という場面もあるでしょう。
このことは親子関係を例にとるとわかりやすいでしょう。自己信頼できている親は、子供の存在や個性や主体的真理を無条件に尊重して認めることができます。しかし、それは子供の言動に対して全て「Yes」と言うこととは異なります。
子供が主体的真理に生きるためにも、敢えて「No」を言う場面はあるでしょう。そのときに、それは本当に子供のためなのか、自分のエゴのためなのかを常に自分に問いながらも、やはり子供を信頼する親の立場として「No」という場面がでてきます。
これは上司部下の関係にも当てはまります。部下の存在や個性や主体的真理を無条件に尊重して認めることができる上司が、部下のためを思って、部下に「No」という場面があります。自己信頼があり、部下のことを信頼できている上司から言われる「No」は、「『No』と言われながらも、どこかで応援されている、信頼されている」感覚をもちます。
コミュニケーションにおいて厳しい指摘をしていても、どこかで部下から信頼されている、愛されている上司やチームリーダーが皆さんの身の回りにもいるでしょう。そのような方は部下に対する他者信頼があると共に、自己信頼もあるのではないでしょうか。
ここまで、自己信頼が他者信頼を生み出すという話をしてきました。ここからは、このような「信頼(自己信頼と他者信頼)」があると、どんないいことがあるのかについてお話しします。
「信頼」があると、課題を直視できる
自分や他者を「信頼」できない、つまり条件付きでしか信じることができない状態の一番の問題点は、オーバープロテクション(=過剰な防御反応)が生じることです。
自己信頼ができないと、自分の課題から逃げるようになります。「自分は自分でいいんだ」というベースの考え方がないので、「課題を抱えたダメな自分」を認めてしまえば、自分の存在を否定することになってしまうからです。
例えば、お客さんとのコミュニケーションに問題があって伸び悩んでいる人がいたとします。もしこの人が「自己信頼」できていないと、人からコミュニケーション力の問題を指摘された場合、自分自身を否定された気持ちになってしまうのです。
仕事上のコミュニケーション力と、ひとりの人間としての存在価値は、全く関係がありません。課題があるならば、解決に向けて淡々と取り組めばよいのです。
しかし、「自己信頼」できていないと、「自分はなんてダメな人間なんだ」「素質がないからあきらめよう」などの思考が働いてしまい、努力を止めてしまいます。課題から目を背け、成長する機会を失ってしまうのです。
「他者信頼」に関しても、基本的な考え方は同じです。部下をひとりの人間として信頼できていない場合、過剰に介入し、自発的な成長の機会を奪ってしまいます。また、指摘するときも、課題ではなく存在を否定するような言い方になってしまうこともあります。
あるいは、相手を傷つけてしまうことを恐るがあまり、必要なフィードバックをすることができず、部下が自分の課題に気づいて改善するという成長機会を逸するということもあり得ます。
自己信頼と他者信頼ができていると、課題と人格を分離できます。その人に何か課題があることと、その人がひとりの価値ある人間であることは、全くの無関係です。この認識があれば、課題を直視し克服に向けて淡々と取り組むことができます。
自分の課題は、自分の人格と分離して、淡々と克服すればよいと思えますし、部下の課題は、部下の人格と分離して、部下の人格を尊重しながらも、課題について的確にフィードバックをするということが両立できます。
「罪を憎んで、人を憎まず」という孔子の言葉であったり、改善活動を行う職場において「仕組みを憎んで、人を憎まず」という言葉があったりしますが、これらは自己信頼と他者信頼による横の関係がベースとなっていると考えることができます。
「信頼」があると、主体的真理をぶつけ合える
先ほど述べたように、自分や他人を「条件付き」でしか信じられない状態だと、オーバープロテクションが生じます。
「間違ったことを言って役に立たないと思われたらどうしよう」
「評価が下がったら嫌だから余計なことは言わないでおこう」
このようなリスク回避的な姿勢が強くなると、お互いの心と心をぶつけ合うような、喧々諤々とした議論は難しくなるでしょう。
逆に、人として信頼し合っていれば、素直に・本音で、踏み込んだ議論ができます。お互いの主体的真理をぶつけ合うような、創造的な議論になるでしょう。そのような議論は非常にエキサイティングで楽しく、結果として、新しいものも生まれやすくなります。
私のコラムの全体のテーマとなっている「意識の意識化」は、アルーの中村俊介さんと、経営コンサルタントの平野貴大さんの3人で、1回3時間×週2回の探求を1年間やり続けてきました。3人で対話・ディスカッションをする時間だけでも900時間、各自の探求時間を含めれば1000時間は超えます。
中村俊介さんも平野貴大さんも、元々は大学時代のテニスサークルの仲間で、卒業後もビジネス・プライベート共に様々なことを語り合う関係です。私たち3人の間には「相互信頼」が醸成されており、そのおかげで1000時間を超える探求を楽しみながら共にすることができました。
当然ながら、社会生活では、条件付きの関係の中で期待された役割をきちんと果たすことこそが重要な局面もあります。
一方で、その関係だけに留まっていると、主体的真理につながって着想したものを内なるエネルギーから創造していくということが難しくなり、新しいものは生まれにくくなります。社会的な関係においても「無条件」の信頼があれば、すでに規定された条件付きの関係を超えて、新しい商品やサービスを生み出しやすくなります。
職場の上司・同僚・部下や事業パートナー等に対して、学歴・職位・実績などの外面的要素だけを見て「信用」していませんか。もちろんそのような「信用」も必要ですが、ある程度の「信用」が担保されているならば、一人の人間として「信頼」するという考え方を織り交ぜてみてはいかがでしょうか。今までとは質感の異なる関係になれるかもしれません。
今回は、自己信頼が他者信頼をもたらすこと。そして、それによって、課題を直視できたり、主体的真理をぶつけ合って創造的な活動につなげることができたりと、関係性だけではなく価値創造にもポジティブな影響があるということをお話ししました。
これまでの記事でお話しした自己一致という考え方を含めてシンプルにまとめると、次のようになります。(自己一致について知りたい方はこちら)
自己一致
↓
自己信頼
↓
他者信頼
自己一致する感覚を培うことで、自己信頼につながり、それが他者信頼につながるのです。繰り返しになりますが、自己一致は、いつでもどこでも、自分がやろうと思えばできます。ですから、自己信頼や他者信頼は、自分の意識の持ち方次第で、実現可能であるということが私は一番重要なポイントだと捉えています。
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