COLUMN コラム

自分への信頼は、どのように生み出せるか?

落合文四郎
Alue co.jp CEO
2021.05.28

前回の記事では、自己信頼とは自分を無条件で信じることであり、それは「ありのままの自分を捉える」という自己一致の積み重ねによって培われるということをお話ししました。

今回は、自己信頼を生み出すメカニズムについて3+1意識モデルを活用して説明したいと思います。

3つの意識の全てにおいて「ありのままの自分」を捉える
「ありのままの自分を捉える」上でポイントになるのが、意識の意識化です。ここでも、何回か登場している3+1意識モデルが役に立ちます。

3+1意識モデルでは、特定の意識領域に偏ることなく、すべての意識領域を意識化することが「ありのままの自分を捉える」ことにつながると考えます。

学歴や職歴、現在の肩書きや他人からの評価といったものは、具体的な事実を元にして、何らかの基準をもとに評価しているものという意味で、自分を思考意識から捉えたものと言えます。

一方で、自分のありたい姿や、心の底から願っていることや主体的真理といったものは、直感的に持っている意思のようなもので、自分を直感意識から捉えたものと言えます。

▼順調に出世しているが、何か満たされない想いがある。
▼猛烈に仕事をしていないと、不安になる。
▼自分に対するポジティブなコメントや評価をもらい続けていないと不安になる。
▼何らかの評価や肩書きを得たことで満足し、自分の仕事の価値や意義に無頓着になる。

こうした例はすべて、思考意識に偏重し、直感意識とのつながりが薄れている状態です。肩書きや他人からの評価ばかりに捉われて本当に自分のやりたいことを無視していると、「ありのままの自分」から遠ざかっていきます。

一方で、思考意識を無視していいわけではありません。自分が考えていることや、その前提となる価値観を否定したり、無視したりする必要もありません。「そのように考えている自分もいるんだな」と受け止めてあげることが大切です。思考意識を軽視するのも、「ありのままの自分」から遠ざかることになります。

感情や身体感覚や行動を司る身体意識を捉えることも大切です。

心臓の鼓動や汗が出るなどの感覚や、様々な感情から、いま自分がどう感じているかを知ることができます。緊張や怒り、不安や悲しみ、あるいは安心感、リラックスした感覚など、自分の感覚から得られるものはたくさんあります。

▼会議での上司の発言に何となく違和感を覚えたが、論理的には整合性がとれているので、特段気に留めなかった
▼目の前にあるチャンスを掴んだ方がいいと直感したので、心の奥底にある不安感を押さえ込んで、なるべく無視するようにした

これらの身体感覚や感情を無視して、論理的な正しさ(思考意識)や、降りてくる直感のみに偏重すると、自分らしくない意思決定をしてしまうことがあります。身体意識は、「ほんとうの自分」が感じていることを知るための重要なヒントを与えてくれると言ってもいいでしょう。

また、身体意識は行動を司ります。頭で色々と思い悩むことにとどまり、行動に移すことができないということは誰しも経験があるのではないでしょうか。頭ではわかっているのに、行動に移すことができないというときは、身体感覚を適切に捉えられていないことが多いです。例えば、恐れや不安などの感情があるにも関わらず、それを捉えられていないので、自分の中に無意識の抵抗が起こり、行動に移せないということがあります。

メタ意識を活用して、自己一致する
ここまで、3つの意識(特に、直感意識と身体意識)を捉えることができていないことについて述べましたが、何が難しいのかと言えば、たいていの場合、無意識にそうなってしまうことです。

直感意識からのメッセージに気付けずに悶々と悩む人も、身体意識で感じていることに目を向けられない人も、それをわざと無視しているというよりも、認識できていないという場合が多いでしょう。

だからこそ、意識の意識化が重要なのです。直感、思考、身体意識をありのままに捉えてみる。3つの意識のどこかに偏重していたり、3つの意識が捉えていることを無視していたりしないか、意識的にチェックするのです。

ここからは、具体的にどのようにすればいいかについて、3+1意識モデルを用いながらご説明します。3つの意識を偏重することなく捉えるためには、メタ意識を活用します。

メタ意識とは、「自己の3つの意識と、それらの意識の範囲にあるものを捉える意識」と定義していますが、平たく言えば「自分を捉える、もう1人の自分」ということです。

メタ意識の具体的イメージについては、人によって違いますが、私の場合は、自分の頭上からみているもう1人の自分のイメージとなります。メタ意識から自分を見ると、自分の頭や背中が見えている感じになります。

最近は、オンライン会議において、自分を含めた参加者の顔が一覧で表示されることが多いですが、それを見ている自分(会議に参加している自分を見ている自分)もメタ意識に近いと感じます。

あるいは、身の回りのもので、「自分をよく表してると思うもの」を思い浮かべて見てください。それは、パソコンであったり、ノートであったり、楽器であったり、スポーツの道具だったりするでしょう。その物を自分と見立てた時に、物を見ている自分はメタ意識に近いと言えるでしょう。

このメタ意識から、直感、思考、身体意識をありのままに捉えることができている状態を「自己一致」といいます。

自己一致の定義(落合の考え)
メタ意識から、直感、思考、身体意識をありのままに捉えること

ありのままに捉えるというのは、評価や判断をすることなく、なるべくそのままの状態を感じとるということです。一般的に望ましいとされることではない直感や思考や感情であっても、「それはダメだ」などと判断する必要はありません。「ああ、そういう直感・思考・感情があるんだなー」とそのまま受容するイメージです。

また、思考意識で捉えていることと、身体意識で捉えていることが矛盾するということもあります。頭で考えていることと、心の中で感じていることが違うということを経験したことがある人も多いのではないでしょうか。このような場合でも、矛盾していることは良くない、などと判断する必要はありません。「ああ、いろいろな思いや感情が自分の中にあるんだなー」と捉えるイメージです。

自己一致は、安心感・安定感をもたらす
このようにメタ意識を活性化して、直感・思考・身体の3つの意識それぞれをありのままに捉えているときに、「メタ意識にいるときの自分の感覚はどのようなものか」ということを問いかけてみることをお薦めします。

人によって表現される内容は異なりますが、私の場合は「安心感・安定感」のようなイメージの感覚を持ちます。安心感というのは、どんな不安やどんな恐れがある場面でも、そのような自分を見守っているメタ意識にいる自分が存在している安心感というイメージです。安定感というのは、それがいつでもどこでも常に感じようと思えば、感じられるということです。

1つ私の事例をお話ししましょう。2020年のパンデミックによって、当社(アルー株式会社)の研修事業は大きな打撃を受けました。研修は、いわゆる三密業態の1つであり、それが当社の繁忙期である4月・5月に重なったため、キャンセルが相次ぎ、その顧客対応、オンライン化への対応、売上減少に伴うコスト構造や体制の見直しなど、様々なことに全社で対応する必要に迫られました。

そのような環境にあっても、経営者である私は前向きに考え、振る舞う必要があると考え、極力弱音を吐かずに、明るくコミュニケーションをして、前向きなヴィジョンを示そうと思い、日々奮闘していました。

しかし、心の中では不安な気持ちがあったことも否めません。例えるならば、自分がエレベーターの中にいて、巨大がゴジラがそのエレベーターを揺すっている感じを持っていました。自分ではコントロールできない、何か大きなものに運命を握られて、右に左に心と体が動かされている感じです。

そのときに、メタ意識から自分をありのままに捉えることを日々実践するようにしました。最初は瞑想のように目をつぶって、自分の上から自分を見つめている視点で、3つの意識それぞれを捉えてようとすることから始めましたが、慣れてくると瞑想をしていなくても、メタ意識が活性化して、直感・思考・身体意識につながるような感覚をもつことができます。

そのような実践をする中で、ある1つのメタファーが思いつきます。それは映画俳優と映画監督というメタファーです。映画俳優というのは、自分の人生ストーリーを生きている主人公としての自分です。そして、映画監督というのは、自分の人生ストーリーがいい形で具現化することを見守っている自分です。

3+1意識モデルとの関係でいえば、映画俳優は直感・思考・身体意識をもつ自分であり、映画監督はメタ意識をもつ自分です。

先ほどの私の事例でいえば、パンデミックという外部環境に大きく負の影響を受けていたのは映画俳優としての私でした。その場面においては、逆境に負けそうになる映画の主人公のように日々苦労をして、日々悩んでいます。しかし、それを舞台の外から見守っている映画監督としての自分がいることに気づきます。その映画監督は、コーヒーをすすりながら、「うん、なかなかの名演技だ」とかいいながら、ゆったりと構えています。

そのようなメタファーで自分を捉えた時に、ふっと心が軽くなったことを昨日のことのように覚えています。「そうか、これは自分の人生ストーリー、として、アルー株式会社の会社ストーリーの中で、1つの欠かせないシーンなのだろう」と。映画のストーリーには必ずと言っていいほど、主人公が逆境に陥るシーンがあります。その映画の逆境シーンと同じだなと思えれば、そんなに思い悩む必要もありません。その逆境シーンでの主人公を演じきるのみです。

このような逆境のシーンだけではなく、常に、映画俳優としての視点と、映画監督としての視点の両方を持ち続けることができたら、どうでしょうか。映画俳優として、目の前の事象における喜怒哀楽を感じながら、一方で映画監督としての落ち着き・安心感・安定感でそれを見守ることができている。

そのようなことが、いつでもどこでも感じられるという確信になっていったときに、自己信頼に近づいているということをご理解いただけるのではないかと思います。

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2021.05.28