COLUMN コラム

自己信頼とは何か?

落合文四郎
Alue co.jp CEO
2021.05.27

前回の記事では、個人と組織の関係が変わりつつある中、自己信頼の重要性が高まっているという話をしました。私自身、自己信頼が弱いことに気づき、どのようにすれば自己信頼を持つことができるのかを模索するようになった経緯もご紹介しました。

自己信頼とは何でしょうか?文字通り、自分を信頼することではありますが、自分を信頼している状態と、信頼していない状態の違いは何か?自己信頼と自己信用との違いは何かと考えると、よくわからなくなったりします。この記事では、自己信頼とは何かについてお話しします。

社員からの問いかけ
まずは、自己信頼の定義をしておきましょう。

自己信頼の定義(落合の考え)
「無条件に自分を信じること」

とてもシンプルな定義ですね。私自身、この定義をとても気に入っています。シンプルでありながらも、本質を突いているという確信みたいなものを持っているからです。

無条件というのは、平たく言えば「どんな場面、どんな時でも」ということです。「ある特定の場面、特定の条件が満たされた時」ではないということです。「無条件」の反対は、「条件付き」です。すなわち、無条件というのは、いかなる条件もついていないということになります。

私自身、この意味を深く知った出来事があります。お客様との打ち合わせの後、一緒に案件を手がけていた社員のNさんと食事をしていたときに、Nさんが聞いてきました。

「社長は、自分を信頼していますか?」

お客様との打ち合わせの中で、職場における人間関係や、相互信頼ということをテーマに議論をしていたので、信頼というテーマがでてくることは自然な流れでしたが、自分自身に問いが向けられたことに少し驚きながら答えます。

「そうだね。信頼しているよ。やろうと思えばできるという自信を漠然と思っているよ」

そのときに、Nさんがこのように言ってきたのです。

「もし、落合文四郎が、アルーの社長でなくて、BCGの出身でもなくて、大学院卒という学歴もないとしても、同じことが言えますか?」

ドキっとする質問であったと共に、多くの気づきを貰えた問いかけでした。その答えは「No」であることに気付かされた問いでした。自分が自分を信頼していると思っていたのは、自分が大学院まで勉強をしてきたこと、BCGで一人前のコンサルタントとしてやっていくことができたこと、起業をして一定レベルまで会社を成長させてきたことに依拠していたことは明らかでした。

私が、その当時私自身を信じていたのは、そのような条件が揃っていたからであり、無条件ではなかったのです。それは、自己信頼ではありませんでした。(詳しくは、今後の記事でお話ししますが、条件付きで信じることを自己信用と呼びます)

意識の意識化にヒントがあった
前回の記事でご紹介した友人のKさんとの会話、社員のNさんとの会話を通じて、自分の自己信頼は弱いことに気づき、「自己信頼とは何か?自己信頼を持てるようになるにはどうすればいいのか?」ということが自分の長年の問いとなっていました。

意識の意識化というテーマで1000時間以上の探求を行ってきたことは以前の記事でご紹介致しました。私自身に問いが立っていたこともあり、自己信頼とは何か、自己信頼を生み出すメカニズムとは何か、についてもそのプロジェクトにおける探求対象となりました。

自己信頼が弱いことに気付かされ、それが場面によってネガティブなインパクトを与えることにも薄々気づきながら、どうすればいいのかわからない日々が続いていた状況でした。

そのような状況の中、意識の意識化を探求している中で着想を得たのです。それは自分にとって、貴重な発見でした。暗闇の中から新しく日が差してくる瞬間を見たような、それでいて、その光はまだ弱々しく、本当に日が昇ってくるのかがわからないような感覚でした。

その日から、その一筋の光を頼りに、自分の中で実践し始めます。 その一筋の光とは、「自分をありのままに捉える」ということでした。

自分が考えていることは、自分の全てではありません。考えていることと、感じていることが異なることがあります。例えば、本当はやりたくないという否定的な気持ちがあるにも関わらず、周囲からの期待や慣習やルールからすると、自分はやるべきだと思うという場面が当てはまります。

あるいは、自分の心の底から願っていることと、現実を目の前にして問題に対処しようとしている自分の思考が違っていることもあります。

私の例でいえば、事業撤退の決断時期が遅れてしまうということがありました。

ある事業の立ち上がりが悪く、携わっているメンバーのエネルギーが十分にでているとは限らない状況を心の底では感知しながらも、これまでの経緯や自分の発言との一貫性や、株主などへの約束、撤退するときにメンバーがどのように思うかなど、様々な不安や恐れから、事業存続が正当であることについて思考でいろいろなロジック付けをしてしまい、事業撤退の決断が遅れてしまったことがあります。

当時の私は、「自分の頭で考えていることが自分のほぼ全てでした」。心の底の願いや、無意識に感じていることは、十分に捉えることができていませんでした。

自分をありのままに捉えるというのは、自分が頭で考えていることだけではなく、感情や五感や直感などの自分が心や身体感覚で感じ取っていることを否定したり、無視したりせずに捉えることです。

先ほどの事業撤退の例でいえば、私の中に次にようなことが浮かび上がっては、消えて行くような状況でした。

頭の中で考えていること(思考)
▼この事業は、自分が思い入れをもって始めたものであり、初志貫徹したい
▼株主にも、この事業で成長を加速させていくストーリーを語っており、その約束を果たしたい
▼事業部のメンバーには、この事業の有望性を語ってきており、話してきたことの一貫性を保ちたい
▼事業の現状は、必ずしも当初の想定通りになっていないが、ピポットする仮説はあり、それがうまくいくことを示す事象もでてきている(理屈は一定程度成り立つ)

心の中で感じていること(感情・身体感覚)
▼株主や事業部のメンバーに対して、これまで話したことと翻意するのは、自分の一貫性が疑われる気がして嫌だ。怖い。
▼自分が思い入れをもって始めた事業が撤退するとなると、何となく自己否定されている感覚がある
▼事業の進捗状況を確認したり、報告したりする場面では、心がざわつくことが多い

直感していること(直感)
▼心の底からやりたいことは、多くの人に選択肢を提供すること(この事業は1つの形態ではあるが、それだけが唯一の形態でもない)
▼事業部のメンバーが、一人ひとりの主体的真理につながりながら、イキイキと働ける環境を創りたい(この事業は、その1つの形態であったが、現状はその理想とギャップがでてきている)

この中には、お互いに相容れない、矛盾している要素があります。そして、 相容れないこと、矛盾していることを自分の中に抱えておくことはとても辛いので、無意識的にどれかを選択して、どれかは無視する、なかったことにするということをやってしまいがちです。

私の場合は、頭で考えていることが優先され、心の中で感じていることや、直感的に捉えていることを陰に追いやってしまうことが多くあります。このケースの場合もそれが当てはまっています。

自分をありのままに捉えるということは、このような相容れない、矛盾している要素も含めて、その全てを否定せずに捉えるということです。「そう考えているんだ」「そう感じているんだ」ということを全て許容して、矛盾していることも許容するし、受容するという感じになります。

全てを否定せずに捉えるという感覚に慣れてくると、その次に「これらの全てを捉えているのは誰だろう?」ということに意識が向くようになります。それがメタ的な自己です。すなわち、相矛盾する要素全てを捉えている自分が、いまここに確かにあることに気づきます。

メタ的な自己から、ありのままの自分を捉える感覚
このメタ的な自己から、ありのままの自分、すなわち、自分の中にある相矛盾する要素全てを捉えることを自己一致と私は呼んでいます。ありのままの自分と、意識下にある自分が一致しているという意味合いになります。

そして、 自己一致を積み重ねていくことが自己信頼につながります。

自己一致というのは、瞬間瞬間の感覚であり、「いまここの瞬間において、自分の中にある全ての要素をありのままに捉えている」という感覚ですから、自己信頼という「無条件に信じること」とは違うものの、お互いに密接に関連しています。

瞬間瞬間の自己一致という感覚を積み重ねていくことによって、「いつでも自己一致することができる=いつでもありのままの自分を捉えることができる」ことが、自己信頼につながるのです。

いつでも自己一致することができる

いつでもありのままの自分を捉えることができる

自己信頼(無条件に自分を信じること)

自己信頼 = Σ自己一致
(Σは、「総和」という意味です)

私自身、このことに気づいてから、自己一致をするように心がけてきました。特に、自分の中に相矛盾した感覚を感じたときや、感情的な起伏がおきているときに、自己一致することによって、自分の中で何が起きているのかを捉えるようにしてきました。

最近では、いつでも自己一致できるような感覚を持つことができ、その感覚の積み重ねとして、自己信頼は以前に比べて、違う質のものになってきている実感を持っています。自分の中での自己信頼に関する問いに、心の底から納得できる答えを見つけた感じでした。

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2021.05.27