COLUMN コラム

主体的真理を捉えるためには、どうしたらいいのか?②

落合文四郎
Alue co.jp CEO
2021.05.27

前回の記事では、主体的真理を捉えるために、これまでの経験や現在の活動から、自分が変わらずに大切にしていることの源泉を辿っていく方法についてお話しました。今回の記事では、自分の意識の重心を直感的・抽象的に捉えて、その妥当性を検証する方法についてお話しします。

(前回の記事をまだ読んでいない方は、是非とも併せてお読みください)

この2つの方法は、どちらが良いという話ではなく、自分にとってピンとくる方法から始めれば良いと思いますし、可能であれば、両方のアプローチを試して見て主体的真理を多面的に捉えていくと良いと思います。

3つの軸で自分の意識の重心を捉える
結論から言えば、3つの軸から自分の意識の重心を捉えてみることをお勧めします。これは、何かの理論に基づくというよりも筆者による仮説というレベルであることを先にお伝えさせていただきます。あくまでも主体的真理を捉えることが目的ですので、そのための示唆を与えるアプローチの1つだと考えて頂ければと思います。

まず、このように3つの軸で構成される8つの領域(立方体のそれぞれの頂点)に分けることによって、何がいいのかという話をします。このようなアプローチの前提として、人にはそれぞれ意識の重心みたいなものがあると考えています。そしてその意識の重心に、主体的真理が表現されている可能性が高いという前提も持っています。

ですから、この3つの軸のそれぞれにおいて、自分の意識の重心がどちらになるかを捉えることによって、自分の主体的真理の居場所を大枠で捉えていこうというのがこのアプローチになります。

次にそれぞれの軸について説明をします。

集合性・・・メタ的・集合的・全体的なものを起点として捉える世界観
▼社会全体、人類全体、コミュニティ全体、生態系全体から捉える傾向
▼自分も全体の中の一部という捉え方

個性性・・・一人ひとりの自我や個性を起点として捉える世界観
▼一人ひとりの自我や個性から捉える傾向
▼自分を含めた一人ひとりが起点であり、全体という概念はあくまでも個性ある個が集まった結果であるという捉え方

相対性・・・価値観や基準は一人ひとりが決めるという世界観
▼何が良いかは一人ひとりで違うという考え方
▼価値観や基準を自分で決める自由が大切という捉え方
絶対性・・・価値観や基準を決める、普遍的なものがあるという世界観
▼何が良いかを決める、何らか普遍的な共通のものがあるという考え方
▼価値観や基準は、一定程度、普遍的・共通的なものに沿った方が良い(あるいは、沿うべき、沿わざるをえないという考え方)

革新性・・・これまでの慣習にとらわれず、いいものはどんどん変えていくべきという世界観
▼自分たちが考えだした新しいことは、これまでの人たちが考えていることよりも優れているという捉え方
▼新しいものに価値を見出す世界観

保守性・・・これまで培っていたことを大切にして、維持していくことが大切という世界観
▼自分たちが考え出すことは必ずしも優れているとは限らないから、これまでの先人たちが大切にしてきたことを大切にするのが良いという考え方
▼新しいものに価値を見出すのではなく、昔から一貫しているもの、あるいは将来に渡っても一貫するであろうことに価値を見出す世界観

さて、皆さんはそれぞれの軸において、どちらに意識の重心があるでしょうか?ここで、「重心」という表現をしているのには理由があります。上記のどの軸についても、場面によって違うなということを感じられた人も多いのではないでしょうか。これはその通りで、それぞれの軸について、片方の世界観しかもたないという話ではなく、状況によって使い分けているのが普通です。

ただし、どちらの方の世界観をより多く持っているか、より多く適用しているかについては個人差があり、それを「重心」と表現しています。

主体的真理によって、意識の重心の置きどころが変わる
3つの軸それぞれにおける意識の重心の置きどころの違いによって、主体的真理の質感がどのように変わるかをまとめたものが以下の図です。

3つの軸それぞれが当てはまるコンセプトと、大切にすること・エネルギーが湧くことを読んでいただいて、しっくりくるかどうかを確かめてみてください。あるいは、この表を見ながら、どれが一番自分にフィットするかを考えていただいても大丈夫です。

このときに、どれか1つに絞らなければいけないと考える必要はありません。この8つのうちの複数にまたがるような意識の重心がある場合もありますから、しっくりくる組み合わせを選んでいただいても大丈夫です。

ちなみに、私自身は、集合性・絶対性・保守性に意識の重心があります。そのコンセプトは、「原理原則」であり、「大いなるものとのつながり、組織化・永続化、原理原則(普遍性)の探求」を大切にしており、エネルギーが湧きます。

これは、私の主体的真理が「本質探求による大いなるものとの一致感」と表現していうことと合致します。

ここまで読まれた方の中で、「主体的真理は一人ひとり違って、千差万別なのだから、このようなカテゴリー分けは無意味なのではないか」と思った方もいらっしゃるかもしれません。それは、仰る通りで、主体的真理は一人ひとり違いますから、このような大雑把なカテゴリー分けですぐに見つかる類のものではありません。

それでも、一人ひとり違う主体的真理を何の手がかりもなく探していくよりも、大雑把な分類ではあるものの、最初の仮説作りとしてこのようなカテゴリ分けを用いることも有益ではないかと私が思っているのは、恐らく、私の意識の重心が相対性ー絶対性の軸において、絶対性にあるからなのでしょう。

相対性に意識の重心がある方にとっては、違和感があるアプローチかもしれませんので、その場合は、これまでの経験や現在の活動から、自分が変わらずに大切にしていることの源泉を辿っていく方法を試していただければと思います。

初期的な仮説から、自分の主体的真理を紡ぎ出す
先ほども述べたように、この8つのカテゴリー分けは、主体的真理をとらえていく初期的な仮説に過ぎません。自分がしっくりくる意識の重心が見つかったとしても、そこで満足せずに、それを初期仮説としてさらに自分の主体的真理をぴったり表現できるような言葉やイメージを探求していって頂きたいと思います。

どのように探求をすればいいのかについては、前回の記事でご紹介した、これまでの経験や現在の活動から、自分が変わらずに大切にしていることの源泉を辿っていく方法を併せて用いていただくことをお勧めします。

私の場合で言えば、これまでの経験や現在の活動から辿った自分の願いは以下のようなものでした。

▼テニス
・・・身体感覚を伴った没入感
▼物理・数学
・・・1つの法則で多くのものを説明できる美しさを見たい・感じたい
▼集団・チーム活動
・・・1人ではできない、集団やチームの力が発揮される瞬間を感じたい、見ていたい
▼教育ビジネスの起業
・・・本質を探求して、それが社会の基盤になる姿を実現したい、見てみたい
・・・1人ではできない、集団やチームの力が発揮される瞬間を感じたい
▼海外旅行・海外出張
・・・成長感を感じたい(ただし、これは条件付けの要素が多い)
・・・まだ見ぬ世界に触れてみたい、感じたい
▼学習
・・・成長感を感じたい(ただし、これは条件付けの要素が多い)
・・・新しい世界、新しい感覚に触れてみたい、感じたい

一方で、今回の記事にあるように、意識の重心から直感的・抽象的に捉えたコンセプトは、次のようなものでした。

コンセプト「原理原則」

大切にしていること・エネルギーが湧いてくること
▼大いなるものとのつながり
▼組織化・永続化
▼原理原則(普遍性)の探求

キーワード・・・原理、原則、普遍、不変、永続、真

この2つのアプローチを統合的に捉えていき、私自身の直感や感性にフィット感を問いながら言語化してみると次のようになります。

【私自身の主体的真理(を最大限純度高く表現したもの)】
本質追求による大いなるものとの一致感

【付随的な願い】
▼1人ではできない、集団やチームの力が発揮される瞬間を見たい
▼身体感覚・身体意識を中心としたフロー感覚を味わいたい
▼意識的に自由でありたい。新しい世界を見ることで、より広い意識空間の中で、意識の自由を感じていたい

なぜ、この3つの軸なのか?
ここまでの内容で、今回お話しすることのエッセンスは全てとなります。ここからの記事は、もう少し詳細に、この3つの軸で構造化される理由や背景はどのようなものかについてご関心のある方は、もう少々お付き合いいただければと思います。

この3つの軸によって、主体的真理につながる意識の重心の所在をカテゴリ化できるというのは、実証された理論ではなく、私の仮説になります。ただ、その仮説にたどり着いた経緯がありますので、それをご紹介させていただければと思います。

私がどのようにこの仮説に辿り着いたかと言えば、政治的立場をカテゴリわけするときの考え方をアナロジーとして用いています。米国で言えば、民主党と共和党という二大政党がありますが、その政治的立場は明確に異なります。その立場の違いを表す軸の取り方が3種類あります。

▼リスクの社会化・リスクの個人化
・・・生活をしていく上でのリスクを社会全体で受けるか、あるいは、個人が受けるか
▼リベラル(自由主義)・パターナル(権威主義)
・・・”いい”を決めるのは一人ひとりか、あるいは、”いい”は誰かが決めるのか
▼革新と保守
・・・(新しい)いいものはすぐにでも取り入れるべきか、あるいは、これまで大切にしてきたものを大切にして、拙速に取り入れるべきではないか

例えば、米国の二大政党は下記のように位置付けることができます。

民主党であればオバマ大統領、共和党であればブッシュ大統領やトランプ大統領を思い浮かべていただけると、上記の位置付けのイメージが腑に落ちやすいのではないでしょうか。

さて、これらは政治的立場の位置付けであって、主体的真理につながる意識の重心の話とは違うのではないかと思われた方もいるかもしれません。そもそも政治というのは何かと考えた時に、西田幾多郎の「善の研究」に載っている次の言葉を見て、ピンときたのです。

国家の本体は、我々の精神の根底である共同体意識の発現である
(西田幾多郎、善の研究)

西田幾多郎は、国家は集合意識が発現したものだと言っています。そうすると、政治的立場というのは、「政治政党がその立場をとっている」ということ以上に「そのような集合意識がある」ということ、さらにいえば、「その立場を大切にしている人が多くいる」ということになります。

我々の集合意識の発現である政治立場というものが、3つの軸によってカテゴリ化できるのであれば、我々個人の意識についても、本質的にはこの3つの軸によってカテゴリ化できるのではないと着想しました。

リスクの社会化とリスクの個人化という軸は、個人の文脈では何を意味しているかわかりませんので、抽象化すると集合性と個性性という軸と捉えることができるだろう。リベラル・パターナルという軸も、個人の文脈では意味がわかりにくいので、相対性と絶対性として捉えることができるだろうと考えたのです。

このような着想とアナロジーから、意識の重心を3つの軸でカテゴリ化できるのではないかと考えたわけですが、これが理論的に正しいと言えるのかどうかはわかりません。(関係のありそうな理論などありましたら、是非とも教えて頂ければ有難いです。)ただ、主体的真理を捉えていく上では、1つのアプローチにはなるだろうと思っています。

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2021.05.27