COLUMN コラム

次元の高い願いと次元の低い願いのどちらを優先すると良いのか?

落合文四郎
Alue co.jp CEO
2021.05.05

前回の記事では、精神的成熟段階による主体的真理の質感の違いについてまとめた上で、自分の内なるエネルギーが湧いてくるかどうかの1点だけを大切に自分の主体的真理や願いを捉えることが大切であるという話をしました。

一人の中にも、複数の願いがあります。その願いは、キャリアの将来像であったり、ありたい家族の姿であったり、社会貢献をしたいという思いであったり、いろいろな形となって現れます。

これらの願いは、自分の内なるエネルギーが湧いてくるのであれば、全て主体的真理から派生する願いであり、その全てを大切にするといいと私は感じています。

前提として、主体的真理は、自分の中の目的レベル(Whyレベル)のものが統覚されたものであり、1つの側面や1つの言葉で表現し尽くせるものではありません。それは、いろいろな顔をして自分にやってきます。

前回の記事と同様に、言葉を使い分けるために、「主体的真理」という言葉を、自分の中の目的レベルのものが統覚された1つのものとして用い、それがいろいろな形となって現れたのものを「願い」と呼ぶことにします。

今回テーマとしたいのは、自分の主体的真理や願いにつながったときの、内なるエネルギーを感じる度合いを高めていくにはどうしたらいいかということです。内なるエネルギーを感じることができる度合いを「純度」と呼びます。

主体的真理は、願いという形で、いろいろな形をして表出しますが、主体的真理に近いものであればあるほど、内なるエネルギーを感じる度合いが高いという考え方から、主体的真理へのつながりの強さ、近さという意味で、「純度」と表現したいという思いがあります。

前段階の願いを満たすことを優先する
内なるエネルギーが湧く願いは全て大切にしたほうがいいという前提を持っていますが、より多くのエネルギーを感じるためには、すなわち主体的真理の純度を高めるためには、願いに優先順位をつけて満たしていくことをお勧めしたいと思います。

精神的成熟の段階について、前回の記事でご説明しましたが、環境順応型(自立<依存)、環境順応型(自立>依存)、自己主導型、自己変容型の順番で考えた時に、前にあるものを前段階、後ろにあるものを後段階と呼ぶことにします。

自分の中に複数の願いがあったときには、前段階の願いを優先的に叶えていくことをお勧めします。もう少し具体的に言えば、利己的段階、環境順応型(自立<依存)、環境順応型(自立>依存)、自己主導型、自己変容型の順番で優先的に願いを満たしていくことをお勧めします。

このようにお伝えすると、疑問に思われる方もいらっしゃると思います。自己主導型や自己変容型の願いの方が、自分だけではなく周囲にいい影響を与えるから、より優先するべきではないか、という疑問です。野心と志という対比で以前もお話をしたとおり、影響範囲が自分に留まらずに、周囲に開かれている方が、共感を得やすいという面がありますので、この疑問には一理あります。

それでも、利己的段階、環境順応型の願いを優先的に捉えていくことをお勧めしたい理由が2つあります。1つは、その願いが一番切実な願いであるという理由です。前段階の願いがある場合、後段階の願いよりも切実にその願いを感じます。ですからその願いを満たすためのエネルギーが湧いてきます。

2つ目の理由は、それらの願いを満たすことによって、その願いを完了させることができて、より後段階の願いに近づくことができ、自分の主体的真理からくる純度の高い内なるエネルギーに近づけるからです。精神的成熟の段階は、前の段階における願いを叶えきることによって、初めて次の段階に進むという側面があります。前の段階の願いを叶えずに、次の段階に移行しようとしても、実際のところ難しいという側面があります。

例えば、次のような願いを持っているAさんがいたとします。

▼自分がエネルギーがでる瞬間は、人が自分の願いを叶えて変わっていく姿をみているとき
▼仕事としては、自社の人材育成の全体に携わり、自分が社内の人々の課題や悩みを真摯に聴いて、その解決の手助けをしたい
▼それを実現するためにも、社内で人材開発に関する企画の責任者となれるように、人材育成やコーチングに熟達したい
▼それを実現するためにも、まずは社内で一目置かれる存在になりたい

この中には、いろいろな精神的成熟段階の願いがあるように見えます。内なるエネルギーが湧いてくるものである限り、どれも大切にした方がいいことは間違いありませんが、その中でも優先的に満たすと良いのは利己的段階、環境順応型に近いものになります。

この例のおいて優先的に捉えると良いのは「まずは社内で一目置かれる存在になりたい」という願いです。これが、Aさんが一番切実に、日々のこととして意識したくなる願いである可能性が高いです。それ以外のものも、内なるエネルギーが湧くものではありますが、エネルギーが湧く度合が違ってくるというイメージです。水が湧いて小川ができるようなイメージか、堰を切ったように水が溢れてくるようなイメージの違いです。

この例において「社内で一目置かれる存在になりたい」という願いが叶ったときのことを想像してみてください。本人からすると、その願いは既に満たされているので、上記のような思いのリストには、その項目は入ってこなくなります。「社内で一目置かれる存在になる」ということには自然と意識が向かなくなってくるのです。

このように、前段階の願いを大切にすることがとても重要です。それをなかったことにしたり、認識していても大切にしなかったりすると、それが影となって後から尾を引いてしまうこともあります。

「やりたいこと」を見つけるために、「やるべきこと」から始めるのも1つの手
前段階の願いを大切にすることが重要という話をしましたが、これに関連して、もう一つ、主体的真理の純度を高めるための観点をお話します。

それは、「やるべきこと」と「やりたいこと」についてです。「やるべきこと」はたくさんあるけれども、「やりたいこと」が見つからないという人は少なくありません。あるいは、「やるべきこと」が山積みになっていて、「やりたいこと」に割く時間がないという話もよく聞きます。

ここでお話をしたいのは「やりたいこと」を見つけるために、「やるべきこと」から始めるというやり方も1つの手であるということです。

先ほどの精神的成熟段階による願いの質感の違いの話と紐づけてみると、「やりたいこと」は、自己主導型知性の願いの質感です。「やるべきこと」は、周囲から要請されることを満たすという観点から環境順応型知性の願いの質感になります。

やるべきことは、周囲から要請されていることなのだから、自分の願いとは関係がないのではないかという疑問が湧くかもしれません。おっしゃる通り、「やるべきこと」と「願い」というのは全く異なることのように思えます。しかし、やるべきことと自分が認知している時点で、それをやることは自分の願いでもあるのです。

例えば、気乗りのしない仕事の締め切りがあるとします。その締め切りまでに仕事を仕上げることは「やるべきこと」になります。しかし、見方を変えれば、「やるべきこと」をやることによって、周囲からの期待に応えるとか、評価されるという「願い」があることに気づきます。「やるべきこと」をやるという選択をしているのは自分です。そこには、(多くの場合、環境順応型の)願いがあるのです。

「やりたいこと」・・・自己主導型知性の願いの質感
「やるべきこと」・・・環境順応型知性の願いの質感

先ほど、前段階の願いを大切にするという話をしましたが、「やるべきこと」と「やりたいこと」という対比においては、「やるべきこと」を先に満たすことと同じであることがわかります。その願いが満たされた時に、それは意識の向かう先ではなくなり、次の段階に移行することができるという話にあるとおり、「やるべきこと」の先に「やりたいこと」が待っています。

先ほどのAさんの例でいえば、やりたいことは自社の人材育成の全体に携わることであり、やるべきことは一目置かれる存在になることです。

Aさんの例における「やりたいこと」と「やるべきこと」
▼やりたいこと(自己主導型知性の願いの質感)
仕事としては、自社の人材育成の全体に携わり、自分が社内の人々の課題や悩みを真摯に聴いて、その解決の手助けをしたい
▼やるべきこと(環境順応型知性の願いの質感)
まずは社内で人材育成企画の仕事を任せてもらえるように一目置かれる存在になりたい

Aさんの場合は、「やりたいこと」と「やるべきこと」の両方が見えている中で、「やるべきこと」にまず取り組んでいくのが良いという話ですが、仮に「やりたいこと」が明確に見えていない状況であっても、同じことが言えます。「やるべきこと」にまずは全力で取り組んでみることが「やりたいこと」の発見につながります。

ちなみに、「やりたいこと」と「やるべきこと」という捉え方以外に、「自分とは関係がないもの」という捉え方があります。「やるべきこと」に全力に取り組むというときに、それは自分とは関係がないものではなく、「やるべきこと」であると自分が選択していることを確認することは有意義と思います。

エゴを満たすことで、純度が高まっていく
私自身の内なるエネルギーの変遷についてお話をしましょう。私自身にも、いろいろなレベルの願いがあり、それが時間とともに移り変わってきています。その中で言えることは、利己的段階、環境順応型知性の段階の願いを叶えること、もっとシンプルに言えば、エゴ的な願いを満たすことによって、主体的真理の純度が高まっていくということです。

▼利己的段階の願い
・自分が好きなことをやっていたい(嫌いなことを、外圧によってやらされるのは嫌だ)
・家と車が欲しい(昭和か!)
▼環境順応型知性の願い
・一人前のコンサルタントになりたい(前職時代)
・どこにいっても、どんな場面でも通用する力を身に付けたい(前職時代)
・一人前の経営者として、認知されたい
・家族が生活に困らないレベルで、経済的自立が担保されるようにしたい
・自分が生きた証が欲しい(自分の外部に証が欲しい)
▼自己主導型知性の願い
・教育という、人に選択肢を提供することをやっていきたい
・自分が主体的真理に生きるのと同時に、当社(アルー)の一人一人が主体的真理に生きることをサポートしたい
・教育の本質を突き詰めて、わかりやすく、広がりやすい形でサービス提供したい
▼自己変容型知性の願い
・主体的真理に生きる人がたくさんいる社会に貢献する
・SDG4(全ての人に質の高い教育を)を実現する世界的教育インフラを構築する

社会人になってからの自分の願いを書き出して、それぞれの願いがどの段階にあたるかを整理をしたものです。このように書きだしてみると、いろいろなレベルの願いが自分の中にあったことをしみじみと振り返ります。みなさんも、是非とも一度やってみてください。いろいろな気づきがあることと思います。

2003年に起業した当初は、利己的段階と環境順応型知性の願いに意識の重心があったように思います。起業したときから教育を手がけていますので、自己主導型知性にある「教育という、人に選択肢を提供することをやっていきたい」ということも意識はしていましたが、まだお題目感というか、掲げてはいるものの重心がそこにあるわけではなかったというのが正直なところです。

起業してからしばらく経過して、利己的段階と環境順応型知性の願いについては、いくつか満たされたものがありました。また、2018年に上場したことも、この中のいくつかを満たすには十分な出来事でした。しかし、まだ完全に満たしたとは言い切れないものがあることも確かです。それらの願いをなかったことにするのではなく、むしろ優先順位を高めて向き合っていく必要があると思っています。

今の実感値としては、環境順応型の願いが未成就のまま残りながら、自己主導型の願いについても、自分の中のエネルギーの源泉になっている感じがしています。一方で、自己変容型の願いについては正直なところ、まだ心的な距離がある状況です。(主体的真理を最も純度高く表現したものとして掲げてはいますが、まだ距離があるというのが実情です)

利己的段階や環境順応型にあるようなエゴ的要素が強い願いについても、無視をするのではなく、そこに願いがあるのであれば満たしていく、ということが自分の経験を振り返っても大切なことだったと思います。そこを満たしていかないと、自己主導型や自己変容型の願いとのつながりが、少し希薄になってしまったり、お題目のようになってしまったりする感覚があります。

エゴ的要素について、積極的に満たしていくことで、主体的真理の純度が高まります。もちろん、何が何でもエゴ的要素を満たすというのではなく、周囲との調和(家族や仲間とうまくやる、仕事を一定レベルで成り立たせる、法律や道徳観を守るなど)を保ちながら、自分のエゴ的要素を満たしていくということです。

この記事では、主体的真理の純度を高めるために、自分の中にある複数の願いについて、その全てを大切にしながらも優先順位をつけて満たしていくということをお話ししました。

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2021.05.05