COLUMN コラム

私の課題意識②:日々の仕事における主体的真理とのつながり

落合文四郎
Alue co.jp CEO
2020.11.26

前回の記事で、私の課題意識として「組織×外面への偏重」という話をさせて頂きました。今回は、別の角度から課題意識を共有させて頂きたいと考えています。

日々の仕事の中での主体的真理とつながり

前回の「組織×外面への偏重」という課題認識は、会社全体、組織全体、ビジネス全体という視点から捉えたものですが、今回は、個人レベルで考えた時の課題認識となります。

それは、「日々の仕事の中で、主体的真理とのつながりを感じながら、働くことができているだろうか?」ということです。

▼「仕事は仕事なのだから、主体的真理とか、自分がやりたいこととか、自分のありたい姿とは、違うものなのではないか」

▼「目の前の業務で忙しく、自分がやりたいことなどを考える暇はないし、実行する余裕もない」

▼「自分の主体的真理につながったことをやっても、全く評価などされない」

▼「そもそも主体的真理やありたい姿がわからない」

このような感想を持つ方が多いのではないでしょうか。ここには大きく分けて2つの要因があります。一つは「1人1人がもつ主体的真理やありたい姿と、仕事やキャリアが必ずしも結びついていない、あるいは、結びつけるという感覚をそもそももてない」ということです。もう1つは「主体的真理、ありたい姿、目指したいキャリアがわからない」というものです。

1つ目の「主体的真理と仕事やキャリアの結びつきの弱さ」については、「仕事とは上位者が求める成果をだすこと」、「自分がこうしたい、こうありたい、ということを挟む余地はない」という価値観があることが要因になっています。

もちろん、上位者が求める成果を出すことは仕事においてとても大切なことです。しかし、そこには「自分はこうしたい、こうありたい」ということと両立する余地も少なからずあるはずです。

例えば、お客様への提案のための企画書を書くことを、上司から指示されたとします。企画書を書く際の、会社としての決まりごとがあるでしょうし、上司から指示を受けた内容は盛り込まなければいけないでしょう。しかし、そこには、「お客様にとって、こういう企画にするのがいい」という自分の考えや、「自分の目指したい営業の姿」からくる考えや意見を盛り込む余地もゼロではないでしょう。

あるいは、個人のありたい姿として、新しい商品やサービスの開発をしたいと思っている人が、今は営業職についているとします。そのときに、「営業職なのだから、営業の仕事しかすることはできない、あるいは、してはいけない」という考え方になるか、「営業職であっても、お客様の新しいニーズに常にアンテナを立てておくことによって、自分なりに新しい商品やサービスのイメージを常に持ちながら仕事をしている」という考え方になるかで、日々の仕事に対するモチベーションは大きく異なるでしょう。

これらの例においては、個人の考え方というところにフォーカスをしましたが、実はより根源的には、「個人の考え方の問題」という話だけではなく、上司や周囲からのサポートがどれだけあるか、組織として1人1人のありたい姿や主体的真理に寄り添う文化があるか、という問題です。

個人と組織の関係が変わっていく

詳しくは別の機会に話したいと思いますが、この背景には、個人と組織の関係に対する価値観があります。昭和の時代から平成の時代まで、「個人は組織に帰属する」という考えが主流でした。ベン図で表せば、個人は、組織の枠にすっぽり入ってしまうような関係です。

しかし、個人と組織の関係は大きく変わってきています。「個人と組織の対等な関係、相互の主体的真理やありたい姿に基づいて、協働することに合意する関係」への変化です。ベン図で表せば、個人の輪と組織の輪が対等に横に並んで、重なる部分もあれば、重ならない部分もあるという関係です。

このような「個人と組織の対等な関係」を前提としたときに、「仕事は上位者が求める成果をだすもの」ではなく 「仕事は上位者と共に、価値を協働創造するもの」という考え方になっていくのではないでしょうか。

2つ目の「目指したいありたい姿、主体的真理がわからない」という点については、さらに深い要因が隠されています。

これまで「仕事は、やるべきことをやること」と思っていたのに、いきなり「何がしたい?」と聞かれても「わからない」となってしまうのは致し方がないことです。

「自分がやりたいことを見つける」というのは、一朝一夕にできることではありません。決して難しいことではありませんが、誰でも即答できるような簡単なことでもないのです。

日本の公教育においても、家庭での教育においても、「アイデンティティは何か?」「自分は何をしたいのか?」「自分は何のために勉強をしているのか?」について考える機会を与えることは殆どないということも関係していると思います。

「考える機会が少なかった」ということが、「自分のありたい姿や主体的真理がわからない」要因です。「考える機会」が増えていけば、誰でも自分のありたい姿や主体的真理に対して、少しずつ気づくことができます。

これを「個人の問題」と簡単に片付けようとするのではなく、組織としてどのように丁寧にサポートしていくか、もっと大きく言えば、社会としてどのような環境を創っていくかは、大きな課題だろうと思います。

さらに言えば、個人の主体的真理と組織の目的(パーパス)のつながりをどのようにデザインするか、そして、そこに組織(社会)としてどのように積極的に関わろうとするかは、これからの組織(社会)の栄枯盛衰を決める重要な要因になるように思います。

落合文四郎blog
2020.11.26